継育

人は自分だけのことを考えていると育つということも育てるということもわからなくなる。それでは本当の意味で成長するということにはならない、そして、いつも成長が停滞する人というのは、このその「育つ」という境地が分かっていないのである。

自分が成長するのは何のためか、それは明確に次の命のためである。
自分の成長を諦めるのは、次の命を絶つ行為であり種が保存されないことをいう。

そしてこの育とは、今を日々をこの一瞬一瞬をどう私たちが大切に生き切るかによって如何に次の命の役に立とうとするか、それが「育つ」ことの本質であり命の道の真意であろうとも思う。

命とは、自らが育つことではじめて生きるのでありはじめて活かされるのである。

他との共生とは、今を真摯に大切に生きることである。

今をいい加減にしたり、過去や未来のことばかりで思い悩んでいたらそれは成長をしていないことを意味しているのである。

そして私たちは何のために学ぶのかといえば当然自分のことのためではない。

これからの人たち、これから来ることになる次世代の者たちのために何を譲り渡すか、そのために自らの道を自らの手で切り開き続けていくのである。

育つとは、自分が育つのではなく次を育てていることを「育つ」と言うのである。

この継いでいくこと、「育」は継育なのだと私は思う。

それがいつまでも分かっていない人が増えたから刹那的な物の観方しかできないで自分を真に活かせないで自分のことばかりに苦しんでいるのである。

ちゃんと命は育つ間に、次の命を育てているということなのである。

子ども第一主義の生き方とは何か。
それは次のために自ら育つことである。

より善い社会、より善い人の在り方、より善い仕事、より善い実践、そういうものを少しでも自分たち一人一人が遺していくことが保育することであるという確信。

ここ数年で得た気づきの境地でもある。

これからも子どもたちのために自分を変えていくことで「育つ」ことでよりよい次世代へ貢献していきたいと思っています。