生まれ変わるということ

人は生きてきた養育環境の中で自分の価値観が出来上がってくるもの。

素直に正直に生きてくれば、刷り込まれないものの周りと比較し建前をみんな使い分けているのだと感じて同じように振る舞えばもうそこに素直で正直だった自分がいなくなっていく。

今がどうかということよりも、以前の養育の中で刷り込まれた価値観に囚われ、今までの自分のことばかりやこれからの自分のことばかりを比較対象の中で考えていくことで次第に変化から取り残されていく。

苦しみは比較の中にあり、自分らしく生きることができるのは自分のままに生きているからである。

それが分かっていてもできないのは自分を偽り、自分を欺いてきた歴史が今の自分というものを素直に受け容れることをさせないのであろうとも思う。

人間は、感謝というものを忘れるときに何かと比較した感謝に陥っている自分の刷り込みには気づかないものである。何かと比べての感謝ではなく、今の自分が感じる感謝を優先できる人が真心の人である。

自分の今を形成したものを受け容れることこそが、新しい自分との出会いである。

この変化の本質に、今までの生き方を変えるというものがある。
人は誰しも生まれてから今まで生きてきた「自分」という人生がある。

生き方を変えるとは一度今までの自分が死んで、もう一度最初から生まれ変わることをいい、それは「新しい自分」はこうするのだと決めて生きるということを言う。

心がそうしないと決めて、昔の自分があろうとも今の自分の在り方を見つめればそれが生き直しなのであろうとも思う。

今までの自分の過去の生き方を見直し、一からやり直し生まれ変わるということが生き方を変えるということである。

それをするとき、自分の今までの人生が一度死に、そして新しい自分の今からの人生がはじまるということである。

今までを引きずりながら新しくなるということは難しいのである。

だからこそどんな仕事をしていようと、どんな環境にあろうと、どんな境遇であろうとも、今この瞬間からの「生き方」は自分が決めるもの。

人生の定義とは、肉体的な生き死にではなく、心の生き死にがあり、心が今までに囚われず、今の自分の心に正直に生きる道を選ぶ事で人は何度でも生まれ変わっていけるのだとも思います。

日々に新たというのは、日々に生まれ変わるということ、そしてそれが命を育むことなのだとも思います。

感動するとは、私には好奇心と発見にワクワクしながら歩んで往く途上で澄んだ無邪気な子ども心に見出しています。

毎日を明るく元気に生き生きと刷新していくあの子ども達と同じように、子どものままに無邪気なままに今を新たに心に決めて生きて生きたいと思います。