一番身近なところから

人間関係を考えるとき、相手ではなく自分ということはよく語る事である。

しかしこの自分とは何かと思うとき、一番身近にいる人と定義してもいいと思っている。一番身近にいて、自分と対話しながら付き合っていくのはこの自分というものになる。

人間関係もどんなことでも、問題は遠くのことを考えるのではなく一番手前から一番身近なところから大切にし心を籠めて取り組んでいけばすべて安心に解決できるのである。

それを自分を誤魔化し自分を責めていたら一番近くの人との関係が上手くいっていないのだからその他の関係も上手くいくはずがない。一番身近な自分に素直にオープンでいることや、一番身近な自分自身に心を委ねて許し認めていくことは自分に正直でいることでもある。

それを誰かや周りの環境をみて我慢して無理をしていたら、自分の正直な気持ちは分かるはずがない。人間は、自分というこの神体を通して自分というものと対話しているからこの世に存在しているのである。

自分というものと対話をする、省みるというのはそれが生きる意味に繋がっているからなのである。

自分自身のことをあまり分からないのに、どうやって相手や他人のことが分かるというのかということである。そしてこれは同じく、自分を変えることもできないのにどうやって他人を相手を変えることができるかということである。

一番身近な自分とどう付き合っていくか、これが心学なのであると私は思う。

心を学び、心を見つめるのはそういう自分を知ることに繋がるからである。

今の社会は、周りの環境の悪化に伴い不幸な関係性を築く人たちが増えている
、親子であれ、友人とであれ、仲間とであれ、自然の姿ではないものを育てる社会がある。

この社会をどう善くしていくか、この社会が如何に大切な人材を育てているか、原点に立ち返り取り組むのが私たち大人の使命なのである。

日々は楽しい学びで充実しているけれど、それを如何に社会のお役に立てるのかよく考え為すべきことに専念していくことだと感じます。一番身近な自分のことを知り、己に克つことで様々なものを維新していこうと思います。

子ども達が安心して育つことのできる社会のために実践あるのみです。