みんなを善くする

生き方というものを考えるとき、自分だけで生きていると勘違いする人と全ての人たちの御蔭で生きていると実感して生きている人がいる。

前者は、いつも物事を部分だけで見ていることが多く、例えば自分都合や相手都合の目線だけですぐに物事の正否を決めたりすることがある。しかし後者はそうではなく、常に全体を観てトータルで判断しているから物事の正否を都合では決めつけず人事を尽くしたり天を信じたりすることで常に調和を心がけて生きているのである。

人は、今まで自分だけで生きてこれたことが一度でもあるかと問われればそんなことはないことは誰でも知っている。しかし、実際に生きていると自分だけでも生きられると錯覚し間違った個人主義の孤立した中で心を閉ざして生きているのである。

そういう生き方をしていたら、いつまでたっても人生のパートナーや仲間達との最高の思い出を創れずに自分ばかりが孤独にすべてを背負い込み力に呑みこまれることになる。

人は今まで誰かの御蔭でもって今の自分があるのだから、常にその恩返しとして周囲のために何かできないかと感じて生きていることがもっとも大切な生き方なのである。

「いつも自分が周囲を善くしたいという一念。」

これこそが今、必要な孤立や孤独を拭い去るための生き方なのである。

今までどうしても人と上手くいかなかったり、周囲の力を活かせないのは自分だけで生きられると間違った方を選択しているからである。今の自分があるのは誰の御蔭か、すべてを覚れば自分が遣るべきことは常に自分以外の人たちのためにどれだけ善いことを積み上げていくかというだけである。

善い種を蒔けば、必ず善い芽が出て、善い実がなる。

自分が一部分の小さな殻の中に閉じこもらないように、生き方として常に周りに貢献できる方を選択していくことである。それは自分は貢献していると思い込むのではなく、実際に周囲から感謝されるような生き方を自分自身が決心することで人生は大きく変わっていくのである。

今の時代、自分だけでもちゃんとやれば迷惑をかけないなどという間違った教育で苦しんでいる人たちが沢山いる。子ども達が幼いときから、そういう環境の中で成長していると思うと心が痛い。

常に、貢献する方、自分以外の人たちに善いことをしようと思えるような貢献を優先する生き方の手本を示していきたい。困っている人たちがいるからこそ、自分が役に立てる可能性があるのです。

「自分の存在がいつも皆を善くする。」

まず当たり前にそう思うことから生き方の環境を広げていこうと思います。