四季に従順

自宅の敷地で栽培しているさつまいもを収穫した。

農薬も肥料も一切用いず土も自然に任せてもう10年になるけれど毎年この収穫の時期はとても嬉しい瞬間になっている。自然のままに任せるのであまり多くとれず、それにあまり大きくないけれど、一つ一つにびっしりと詰まった自然の命の味は格別のものになる。

土の中奥深く入り込んださつまいもをとるのは一苦労で、なかなか抜けないのでいつも収穫の時は細心の注意を払いひとつひとつを丁寧に抜き取っていく。この作業も今までのかけた時間を実感でき、愛情を籠めながら引き抜いていくのである。

時間をかける幸せというのはこういう時にこそ感じるものである。

今の時代は何でも急いでやった方がいいような風潮がありすぐにやいつまでになど何でも忙しくしてしまっているけれど、実際は長い時間かけたからこそ格別な味わい深いものを感じるのである。

仕事でも日常でもなぜにこうも急ぐのかと思えば、情報化社会の中で知識ばかりが膨大に行き来し、何か人間にばかりに合わせているからのようにも思う。誰かの都合で何かが決まりどこかの都合で何かが動かされる。

自然を征服しようとする考え方が人を窮屈にしていくのである。

例えれば、この収穫というものを真に味わうにはまず種を蒔かなければならずその種から芽が出たらそれが自分で育ち始めるまで見守り、実りの姿が顕われるまでじっと待っていくそしてちょうど善い時期に実を頂戴する。

この自然との流れの中で生活を楽しむことが、私たちに自然を味あわせてくれる安堵感を与えてくれるのである。

これは単に野菜の栽培などだけで言えることではなく人の一生もそして何かのビジネスのプロジェクトであっても同じくじっくりと育てていくことを楽しむ余裕こそが大切なのである。

同じ野菜でも、何でも芽が出ない芽が出ないだのいつ収穫できるのかと種もまこうとはせず不平不満ばかりを言う人がいるけれどそんなことでは楽しいはずの生活がそうではなくなってしまうのである。

仕事も同じく、まずどのような種を蒔くかを決めることからはじめそれがどのように芽が出てそれを栽培し、さらにじっと四季に備えて従順に応じていく中でどのような実がなるのかを楽しむことで営んでいくことが活きる事である。

こういう時代だからこそ、自然から学び自然と楽しむ中で気づき学び自らを正していくことが大切になっていくのだと思います。

このさつまいもも少ないなりにも会社の皆や色々な方々と分け合い一緒に食べることになります。育てて甲斐があったという実感もまた、皆との歓びの中にあるのだと思います。

きっと収穫した実も、食べられることで喜んでもらうこともまた自然の一部である証拠であると思います。これからもまだまだ原点を忘れず、時間を懸けてじっくりと自然の生き方を学びながら楽しみたいと思います。