信頼を縫う

人は損得抜きで困ったときはお互い様という関係を持てるかというのは大切なことのように思います。そしてそれは昔からあり、自分が困ったときに助けてもらったから同じように人を助けたいというものがあるのであろうとも思います。

素直に他人に困ったことを言える心も、素直に助けを求める心も、そこには確かな信頼関係というものがあるのだと思います。この人を信じるということは、人間関係において何よりも大切なものであろうとも思います。

一般的には人は相手を見ては、どこまで自分を出そうかと判断しているように思います。その人の立場や、その人の様相、その人の損得によって自分の立ち位置を決め振る舞っているともいえるのだと思います。 理由は様々ですが、怖さであったり不安であったり、傷つきたくないからなど、自衛や防衛からそうしてしまっているようにさえ思います。

しかし、その最初の行為に自分から信で接しようとしなければいつまでも誰かと信頼関係を持つことはできません。自分が相手を疑い信じることができるかどうかを先にする人は、親友や師弟、または心を開ける最良の同志などにも出会うことができないのです。

本当に困ったことに遭遇しても助けを求めなかったり、最高に感動したときも涙を流しながら喜びあえる戦友もいない、または後を託せるような関係でなかったりと、寂しいことになるのです。

人はその人を自分から先に信用し、信頼し、心を開き続けるというのは、天の下、自分というものを受け容れてくださっている自然に心身を委ねることと同じであるのです。

思い切って自分の心を打ち明け、丸ごと頼ることほど幸せなことはありません。
そういう関係がいるだけで、前に進む勇気が出てくるのです。

人は独り立つ必要はありますが、一人では生きてはいけないのです。
たくさんの困難がある御蔭で観えないものに助けられている日々を実感します。

遅遅とした歩みであろうが、本質に向かって心を信じ縫っていこうと思います。