理想と現実の真実

現実というものを理解するというのはその問題の本質を正面から向き合い、見たくないものも正しく見ようとしなければそれをすることはできない。

すぐに人は現実と理想のギャップを受け容れるのを嫌がり、真実を歪めて現実をいつまでも彎曲してしまい問題をすり替えてしまうことがある。理由には、自信がなかったり、傷つきたくなかったり、あまりにも受け容れ難い何かがあったりと様々だけれどそこを避けて通ろうとすればその歪は必ず現実世界で起こるのです。

例え仮にその場は乗り切ったとしても現実は何も変わらなくまた追ってくるように、本当の問題に直視しそれを解決できなければいつまでも変わらない現実に悩み苦しむことになるのです。

直視するという力は、まるで心の胆力のようなものであろうとも思います。そしてそれは、本当の問題へと近づこうとする素直な心が必要であろうとも感じます。

しかし保身や自利などから自我の様々な感情があるからこそ目先に囚われてしまいます、だからこそ理屈にするのではなく真心からそれを思いやる実践を増やしていかなければ真実というものは顕われないのだとも思います。

この理想と現実の間には、いつも確かな真実という存在がある。
そしてこの本当は何かと探求していくことで、確かな真心が試されるのです。

真心で実行できるようになるというのは、その理想と現実を正しく理解し心身が一体化して物事に取り組み正しく行動できるようになるとも言えるのだと思います。

子ども達には大人たちの自分勝手な歪んだ夢を押し付け、さらに画一された社会の歪んだシステムを教え込むのではなく、もっと真実を観る目を養い、真心の実践を増やしていくことこそ必要であるのだと思います。

それは、きっと相手にも何かあるのではないかと思えるような心の豊かさも必要です。

思いやりはカタチがないからこそ言葉で教えられるものではありません。
親の心を心として、実践を積み上げていこうと思います。