他問他問の罠

人は誰かと対話をするとき、話をする人、話を聴く人というどちらかになる。
そして出会いというものは、その一瞬の邂逅で最適な質問ができるかどうかによる。

私の場合も、この人に会いたいと思ってからすぐに出会える場合と、すぐに出会えない場合がある。それはタイミングがあり、今ではないと思うときには会いたくても会えないと思っているから難しい。

この今ではないというのは、質問できる状態ではないということに近いものがある。
会いたいと思えば思うほどに、自問自答し、何を質問するかを真剣に考える。

それは師との面談でもそうだし、自然との対話でもそう、自分というものの対話でもちゃんと準備をして話ができる土俵に上がっているかどうかを吟味するから慎重になるのです。

大切な人に大切なことを教わる時、それは「永い時間温めた」という言い方をします。

企画書でも、永い時間温めたものや、言葉も自分が永い時間かけて温めたかというのが一瞬や一言で言い表せるのです。だから、実力がある人への質問や一般的には経営者への質問というのは自分が思いついたことを話してはいけないのです。

思い付きやその場での対応というものは、決して自問したものではありません。
上司の出し直しなさいは、考え直して出しなさいという意味で、これは自問してきなさいです。

言われたから反応しただけだったり、それは相手発信だからあわせただけで動作的なものが多いのです。例えば、「それを取ってくれる?であったり、あれをこっちに持ってきてくれる」というだけであるのです。しかし、もしも準備して臨んでいれば、相手から何かを言われる前に「これですねや、それはもう済んでいます」というように心地よく相手に対話をあわせていくことができます。

つまりコミュニケーションとは何かといえば、 相手のことを先に配慮し自分から寄り添い相手の問題を自分が解決することになっているかということでもあるのです。特に、仕事に情熱を傾けられる人は相手の問題を自分の問題以上に真摯に取り組むから一心不乱に取り組めるのです。だからそうしているうちに、仕事が上達するのです。

働き方として、そういう風に生きている人たちは成功します。自分の問題もやっていますがそれ以上に他人の問題解決に余念がないからです、協力する姿勢、お役に立とうとする姿勢が生き方としてできているのでその人は周りにいつも必要とされまた上達する好循環にのるのです。

そしてそれを具体的に実現するには、まず質問する力があるかどうかによります。
これは私の言葉の定義では、ちゃんと事前に自問してきたかということなのです。

言われたことをやるのは自問ではなく、他問ですし、自答ではなく、他答です。
他問他答していたら、一向に質問する力も、そして正しく答えを導ける力もつきません。

仕事で楽をおぼえてしまうのというのは、この他問他問の怠慢の罠に嵌っていますよとも言えるのです。だから私はそれを「わかった気になってはならない」と、その都度、その場で繰り返し自戒して、その自分で考えず答えに縋るような罠に嵌らないようにと習慣づけを行っているのです。

人と協力して何かを行うというのは、この力は何よりも鍵を握るのです。
そしてそれがビジネスでは何よりも大切な仕事の技術になるのだと私は思います。

いくら見栄えのよい企画書があってもダメですし、いくら話が上手な人でもそれではダメです、本質は質問してきたかということに尽きるのです。

自問自答を続けることは、学ぶことだと思います。
大切にしていきたいと思います。