集団というテーマ

歴史を探訪していると、人と人が信頼をしあって大きなことを成し遂げたことに出逢います。
集団というものを形成していく中で、数々の困難を生き抜いてきたことを誇りに思います。

人間というものは、一人では生きてはいられず必ず誰かを必要とします。

その関係を上手に活かすことで平和な暮らしも、それぞれの自己実現も為し得ます。
集団とはもろ刃の剣でもあり、どうにでも動かされてしまうのも事実です。

時の権力者たちは、それを見抜き様々なやり方で研究され実証されてもきています。

それを政治ともいい、孔子の時代よりずっと以前から集団をどのようにしていけばよく治まり、集団をどのようにしていけば乱れるかというものも問い続けられてきました。

世の中が平和に治まるには、どのような集団を形成することか、そしてそれを為すリーダーというものはどうあるべきかを常に問われてきたのです。

歴史の中では、様々なタイプのリーダーがいます。個性豊かに、それぞれの方法で集団というものを守ろうとしてきました。それは集団がそうさせたとも言えるし、リーダーがあったから集団があったともいえます。如何に集団がよくなるかは、それぞれがみんなで考えていくものです。

そしてそれを今の時代では民主主義ともいいます。

一人一人がどうやったら平和な集団を形成できるかを、問うということでもあるのです。

神話の中で、仲睦まじく人々が暮らしてきた記憶が記録として語り継がれて今が在ります。
同じように歴史には、そういった時代があったことが記されているのです。

何度も何度も挑戦し、どうやったらそのような集団ができるのかは人間の永遠のテーマです。
信頼しあうということや、助け合うということ、絆を持つのも、すべては集団のためなのです。

みんなで活かし合う関係を求めるのは人間の根源的な欲求なのです。
時を遡りながら、そういう思いに心を馳せてみようと思います。