人格という心の形成

以前、山口良治さんの著書でオールフォアワン、ワンフォアオールの話で感銘を受けたことがある。強さや優しさということの意味についてとてもわかりやすい文章で語れていたのでそれをメモしていたものがある。

そこにはこう書かれています、

「カッコいい男になれ。カッコいい人間になれ。男のカッコよさは、やっぱり強さなんや。強いオトコはかっこいいぞ。その強さは大きさじゃない。バーベル100キロ挙げるとか、そんな測定できる、目に見える力と違う。男の強さは優しさなんや」きざな言い方かもしれないが「強くなかったら人に優しくできない。弱いやつは自分のことしか思えない。弱いやつは人のことなんか気にもならない。一番大事なのは、自分と同じように人のことを思いやれる心をもった人間になることだ。他人のことを自分のこととして捉えることができる優しさが強さなんだ」(旬報社 信は力なり)

強さや優しさというものは、その人の人格で顕われてくるものだと思います。

どれだけの苦難を乗り越え、どれだけ信念を試され、その中で自己を正しく形成したかがはっきりとその人格ににじみ出てくるものです。どんなに表面上を偽っていても、その人が憧れるものやその人が目指す生き方というものは実体験の集積の上に形成されるものなのです。

自分のことと同じように人を思いやれる優しさという強さを持ちたいと願い、信じる実践を積み上げた人だからこそそこに目には見えないけれど繋がりの中で信頼や信用といったものがはっきりと表出してくるものだと思います。

人生はどのような人に憧れるかというのはとても大切です。

尊敬する人を持つということや、自分が目指している人を持つということは、それだけで自分の人生のゴールイメージをありありと感じることができるものです。そういうものがなければ見栄えのよい強さに惹かれたり、つい他人の目に映るカッコよさを追ってしまうのだと思います。

人間的な魅力というものは、どれだけの心をもっているかというものに尽きるのです。財産や身体、物体などのあらゆるものを持つことがその人ではなく、やはりその人の中身ともいうべき心がどのようであるかを人は感じているのだと私は思います。

人柄を大切にし、人格を磨くことは自己形成や自己実現というものの本質であろうと思います。

これからも信じるということの意味を楽しみ味わいながら貢献を優先していこうと思います。