正解の本質

何かを行うときに、自分が正しいというものがある。

もちろん、誰かが正しい答えを持っていてその答えが正しいと信じ込めばそうではない答えは間違っていることになる。外側に正しいや答えを求めてみても、それが本当に正しいかどうかはその人でないと分からないのです。

つまりは、自分の絶対的なところで自分が信じるものが正しいということが分からないといつまでたっても誰かに正解を求めるようになってしまいます。自分自身の実体験の気づきを元にして、それが何なのかを自ずから気づき尽くすときに自分なりの正しい答えが現れます。

そういうものを積み重ねていくことで、掘り起こしていけば当たり前と今まで思っていたことも当たり前ではなくなり自分流の生き方に辿り着くことができるのだと思います。

もちろん世の中には数々の法則があり、それが人間界でのものと自然界でのものもあります。

どちらも共生が基盤となっているのでしょうが、その法則を違えばそれなりに自分の修正が問われます。しかし法則通りでやれば間違いがないという意味ではなく、その法則を用いてどのように自らを磨くか、正しい自分というものに出会うかが肝心なことであろうとも思います。

正しい自分とは、誰かと比べる自分ではありません。

自らが魂のようなものを練磨し、自らで修め磨いていく中で本物の自分と出会う。

こういう学びを続けていくことで、自立や自分流といったものが体得できるのだと思います。魂を磨き続ける事は、禍転じて福となすというように様々に起きていることを絶対的に信じることからはじまるのだと私は思います。問題が起きる事を恐れて無難に乗り切っているのでは、誰かの答えに依存するようになるかもしれません。

正解とは、正しく解するほどに自分を磨き本物にしていくことだと私は思います。
常に自らが実体験、知行合一、至誠と実行を大事に気づきを磨いていきたいと思います。