夢から現実へ

昨日、ある学童保育所「めぐみ精舎」の開設にあたり「いのちの根っこを育ち合う場」という理念に対してどのようにするのか、私たちの提供した協働遊びを所内でどのように活用するのかについて話し合いました。

理念というものや夢というものは大きいので、それを具体的にしていくときどのような方法と道筋で行うのかなどを定めていくことで具体的なロードマップが現れてきます。

人は目標というものやゴールイメージというものを持つことで、より自分が今何をすべきなのかというのを自覚するのだと思います。自分から何をすべきかを自覚することができれば、後はそれをどのように皆と一緒に取り組んでいけばいいかを話し合って決めればいいのです。

古今東西、皆で協力するというのはまず理念ありきで目標がその次、そして具体的な方法という流れで進めていくのだと思います。

昨日は、根っこを育てるという理念の下、如何に居心地の善い施設にするかということ、そしてそれは具体的にはどうするのかについて議論しました。

いくつかの具体的な自分の実体験や事例を一円になって話し合いながら、その具体的な方法やアイデアを出す中で「子どものやりたいことにどこまでOKをだせるか」というものに絞られることができました。

後はそれをちゃんとできるように仕組みを用意するということで、チェックリストや毎月1つ実現するような計画をルーティンしたりと定めて終了しました。

何かをやろうとするとき、まずどこから入るか、そしてどこへ向かうのかというのは重要です。なんとなくぼやけたままで進めているから誰も夢物語のままで遅々として進まないのです。私心を交えずに皆の意見を尊重しながらそれを整理していくことで、皆の本当にやりたいことが観得てくるのだと思います。ファシリテーションをする人というのは、誰よりも皆のことを手伝いたいという真心の発露が最もそれを実現可能にするのだと思います。

素直にやりたいことをやれる人こそ、素直にやりたいことを実現できる人ということでしょう。

最後に、この新しい学童保育では如何に子ども達だけではなく老若男女にいたるまで居心地の善い場所にするために自分の夢ややりたかったことにどれだけやってもいいよとするかということで共通理解を取りました。

人が安心するとき、自分が「丸ごと」認められたと感じるときです。
そしてそれは、自分のやりたいことを皆が手伝ってくれたときなのかもしれません。

今の人間関係の疲れとは、御互いを認め尊重し合わないことからきているように思います。外で認められないからこそ不安になり、そのことから痛みを怖がるようなり、次第に心を閉ざし人といることに疲弊してしまうのです。一人になりたい人が増えているのも、あれもだめこれもだめというように社会全体が閉塞感に満ちてしまっているからのように思います。

夢から現実になるのは、もっと自由を認めて解放しなければそれは実現しないのです。いただいたご縁と機会を活かし、アイデアを私たちも社会へ還元できるように社内でも企画していこうと思います。