実践は素直

何かの教えというものは本来、それを自らで実践することで教わったことになるのです。

情報過多の時代は、情報だけは沢山さきに入ってきますがそれをやったかといえばそうではありません。脳はそれをやったかのように認識することはできますが、実際にはそれを実践しないのだからやったことにはならないのです。

例えば、この世の中には法則というものもあります。

その法則は、自然であること、生きものとしての私たちのいのちの特性など普遍的なものが存在していることの証でもあるのです。

しかしそういうものからいくらズレていると教えても、その教えを実践しないのでは自分がズレてしまっていることをも修正することはできないのです。

そもそもズレているから生き方が定まらず、生き方を正しく定めるからズレないということにもなりますがその生き方を決めるというものは実践するかどうかを決めるというのと同じなのです。

決めるという行為は、覚悟という意味でもあり、覚悟というものは実践するということです。

ひとつひとつの実践を行うかどうかは、自分の行動にかかっているのであり、それは物の観方を正しくして取り組むということに他なりません。

例えば真心というものでも、頭でこれくらいは心を籠めているからなどや、今までの経験で自分なりにはここまでやったのだからなどではなく、素直に心から感じたままや正直に謙虚に思ったままに行動できるということが本来の真心であるのです。

手間暇かけることや、相手に心を開いていること、信頼して手伝うことなどもすべては実践という素直な行いであるのだと思います。

教えてもらうことや教わることは本来は素直になってはじめてできることです。
実践を行うというのは、教わる姿勢が素直になったままだということでもあるのです。

人は皆わが師の境地というのは、教わる姿勢が実践からブレナイときの言葉なのでしょう。

まだまだ頭で理解することが多い日々ですが、正しい観方をできるよう日々に新たに素直の実践に取り組んでいこうと思います。