自己改革

可視化というものに、見せ方が変わるというものと、そもそものものの観方が変わるというものがある。

前者は単に、今の自分やその存在の見せ方が少し変わっただけで本質的に何かを変えたのではなく変わった気になっただけでそれは自己変革したわけではない。しかし後者は、自分自身が変わることで自分だけではなく周囲にまで変化を及ぼすほどに変わるのであり自己改革ができたといってもいい。

つまり同じ行為であっても、変わるというのは周りから見て変わったように見せるという行為と、自分自身が変わってしまうという行為があるのです。

自分を変えたいと思っていても、まさか自分の価値観や自分の観方まで変えてしまおうとはほとんどの人は思っていません。一般的に人は、自分を変えようと努力しますが今までの既成のものか周囲と比べてといったように外部の状況と違っていることを変わったと勘違いするのです。

しかし実際はそんなものは変わったのではなく、見せ方がちょっと変わっただけだったり周りと比べて違ってみえただけで、何も変わってはいません。

変わるというのは、本来は、変わることで明らかに自分が変わり、周囲の人たちが変わり、組織も変わり、世の中も変わるというように、自分以外の全てがみんな変わってしまうときにはじめて「変わった」と言っていいのです。自分の周囲の人が何も変わらないのに、自分が変わったと思い込むのはおかしいのです。

私の実践でも、自分が変わることで家族も社員も友人も取引先もすべて変わってしまうのです。自分のパートナーともいうべき人たちが変わるのは、自分自身が変わるから顕われるのであってそれは自己変革を求めているから様々なものを引き寄せ出会いが訪れるのです。

自分が変わる前にすぐに人は楽をしてまず相手や周囲を先に変えようとしてしまうものです。

これは言い換えれば、自分の価値観は変えないままに相手の価値観を変えようとするのです、それが楽ちんだからです。

人の人生は眼には見えませんが、その人その人の価値観の人生をその人が勝手に生きているともいえます。どのような生き方か人生かは、その人の価値観が決めてしまっているのです。

具体的には自分が変わるというのは、今まで通用した自分用のルールを丸ごと別のものに変えてしまうことをいいます。自分の観方が変わるほどのルールを新しく適用するのです。そうすることで今まで適用させていたルールを、新しいルールを引き直すことで変えるのです。

頭で考えてもそのルールは変わることはありません。

そのルールが変わるのはやはり実践して、自らの戒律を新たにするからこそ変わるのです。
その時の苦しいと思えるのは、自分の価値観が思ったように変わらないからです。

しかしルールさえ定めたらあとは思い切って自分の憧れる価値観で生きたいと念じ、後は好奇心と遊び心を持って勇気を出して取り組んでいくことだと思います。人は好きなことをするとき、あまり以前の価値観に囚われなくなるものです。

好きにはいろいろあって、子どもが好きという好きがあります。
好きなもののためにまずは自らの自己改革を楽しんでいきたいと思います。