自分を信じ貫くということ

昨日、九州の農園の草刈りなどを行った。

他の田畑と違って様々な雑草が自由に生えている中で野菜などを育てることになり周囲の農家の方々もどうなることかと関心を寄せてくださっているようです。

今の時代の農業のカタチからすれば、私のお借りしている農園は草だらけで農機も入らない悪田畑であるようで、声をかけて下さる方々は一様にもっと良い場所があるのになぜこんなところでやるのかと質問してこられます。

私にとっては居心地が善い場所でも、一般的な大多数の方々にはそのような良い場所に見えないというのは今の会社経営と同じような感じで違和感がなく、かえって自分のやっていることは何かを常に自覚し認識することに役立っています。

しかし何でもそうですが、他人と違うということやそのやり方では間違っていると言われることに人はだいたい負けてしまって自分を貫くことを途中でやめてしまうのだと思います。

例えばこの自然農でもそうですが、周囲は親切心から「ちゃんと田畑は耕して起こさないとダメ」とか「農薬なしでは無理、昨年は薬なしで虫にやられて全滅したよ」とか、他にも「ここはカラスとイノシシが入ってくるから収穫は期待できない」とか、色々と言われます。

それは実は親切心から失敗しても傷つかないようにと心配して配慮し仰っているのですが、それを不安に感じる心があるのはまだ自分の中の本心や覚悟を定めていないからでもあるのです。私の場合は、もともとが他の人と農を行う定義が異なるため、以上のようなことが起きる事もすべて担保にいれて気づき学び楽しむと決めているのであまり言われても気になりません。

これは実は人生でも経営でも、周囲の心配に不安になるのはまだまだ自分に自信がないからとも言えるのです。そこでの自信とは、自分が納得しているのだからこれでいいと思う信念のことでもあるのです。

逆説的ですがその人が不安があるから他人はそこを語るように思います。
自分が不安でなければ気にならないことであるから対話したことすら覚えていないからです。

もちろん全部が不安でないと楽観視するのではなく、待っていたら必ず信じたようになるという自らが納得いく姿のままの生き方を信じぬくということが重要なのだと思います。

どんなことがあったにせよ素直な心で融通無碍に楽しんでいけるよう気づきと学びを優先し自らの魂を磨いていくことが精進であるのだと思います。

最後に自然の声に耳を澄ませて観照していくことではじめて日々の気づきや学びとの出会いが充実していくのだと思います。

自ら自然界の信の間合いに入っていこうと思います。