幸が運

運というものがある。

生まれてきてから死ぬまでにどのようになっているのか、そういう絶対的なものを運と呼ぶ。
もともと変えられないものがあるとして、それをどのように考えるか、そこに運が善いがある。

運が善いと思う人は、いつも大事な局面で何らかの幸せが入るようになっている。
それは人であったり事物であったりするけれど、自分がそう思うほどに幸運は強くなるのです。

運というそのものは、如何に運に対して自分がポジティブであるかを思うときにそう感じるのであろうと私は思います。逆にネガティブな人だといつも運が悪いと思ってしまいますから運は観えないのです。

つまりは運とは、これがいい、今が一番いい、自分がいい、最幸の人生、ちょうどいい、などと、いつも自分の人生の運びに対して生き方の姿勢が前向きである時に感じるものなのです。運が観える人というのは、泰然自若として心の感じるままを大事に生きられる人なのです。

よく考えてみると、悩みが多くても今身のまわりにある幸せはかけがえのないものです。時折、寂しいと感じたり、悲しいと思ったり、辛いと観えても、その実は全て幸せの隣にいるのではないかと思えるのです。

人生は自分で決めて生きる部分と、流されていく中で決まっていく部分があるように思います。

そしてそれは、自分自身の生き方そのものを問う中で感じることができるのです。

相手がどうであれ、世間がどうであれ、自分の境遇がどうであれ、自分がどうしたいのか、自分がどう生きたいのか、そこが大事なのではないかと思うのです。

他人の目を気にしていたら、内観もできませんし、内在する自我の直観を信じることもできません。やはり自分の心に正直にオープンに、そして自分らしくいることに迷わないように任せていけば自然に辿りつくところにいけるのであろうとも思うのです。

頭で考えていたら不安はつきものですが、心で感じれば晴れ晴れとしています。
空を見上げて生きていくような姿にこそ、運が好転して幸が顕われるのではないでしょうか。

幸運とは、幸せを実感する生き方のことです。
つまりは幸がそのまま運になるのです。

どんな小さなことからも運に気づき、運を深めて運と楽しんでいきたいと思います。