自然の魂

鶏が朝早く鳴くのは魂がそうさせるからです、そして植物がそのものらしくあるのも魂です。

もともと自然とは何か、それは魂というものであろうと私は思います。

昨年、セルフイメージに出会い、そして自明というものに邂逅し、自分というものの中にもう一人の自分とも言うべきものをはっきりと再認識することができました。

昔から直観というものを信じ、自分にいつも助けられているもう一人の自分がいることは分かっていました。しかし、そのもう一人はどこか自分ではないのだろうと思い込んでいましたがこれがもう一人の自分であることを自覚したのです。

人は、もともと自分がやりたいことがあり自分らしさというものの輪郭が次第に顕われます。
それを徳とも言ってもいいかもしれません。

人は人格というものが、調和するときそのものが本来具有しているものが出現します。
そしてそれがその自分らしさともいう魂が顕われている状態のように思います。

人は生きていたら様々なことに出会います。
いや出会っているようにも観えますが、最も近い物には出会っていないのです。

まさか自分の中に全体と一部ということが存在しているとは思わないのでしょう。
自分というものは、自のところと分があるのです。

生きているのだからバランスが必要でそれが見える世界と観えない世界なのでしょう。
魂の声にもっと耳を傾けることが、自然を学ぶ要諦です。

かんながらの道の先に、自分の使命が在ることに安心します。
自分らしく生きて、様々な境界線の上で縦横無尽に楽しんでいきたいと思います。