経験よりも体験の集積

人は日々に色々な出来事を通じて学んでいくものです。

そしてその学びというものにも、経験というものと体験というものがあるのです。

経験というものは、起きた出来事をそのままにこんなことがあったからどうだったと自分自身で考えている状態のことを言います。しかし体験というものは、起きた出来事は一体何だったのか、これはどのようなことを教えてくださっているのかと感じている状態のことを言います。

つまり経験は誰でもしますが体験をしているとは言わないのです。

自分にとって良かったか悪かったかと思っている範囲ではまだそれは経験でしかありません。よくエピソード保育などと言われますが、その経験をしたからといってそれが何なのかというところまで感じることができていなければそれはあまり真の学びにはなっていないのです。

本来、学びというものはその出来事が良かったか悪かったではなく、成功したか失敗したかではなく、その経験を自らで深め味わい実に尊い体験をさせてもらったと謙虚に感じて意味に感謝するときはじめて体験できているといことになるのです。

私も一日を毎朝、毎夕、振り返り、とても素敵な一日であったと内省するとき、自分に与えてくださった尊い体験に何度も手を合わせることがあります。そんな時、この体験が持つ本当の価値や、この体験が示唆してくれる自分の学問に何よりも歓びと感謝が湧き上がってくるのです。

人は、誰でも人生は同じように経験を積むことができます。しかしその感じ方は十人十色です。

一度しかない人生を、経験だけ積んで何でも出来事がうまくできるような人になりたいのか、それともそれを貴重な体験に換えてそれを積んでどんな出来事からでも学べる人になりたいのか、これは明白なのです。

だからこそ、どんなことも常に深く味わいこれは何が起きているのだろうかと振り返り心の眼で見て感じて経験を体験に換えていくことで人生は無二の安心感に包まれていることに気づけるようにも思うのです。

心を高め魂を磨くには、どんなことからも学ばなければなりません。

有難い体験をさせていただいているこの今に、この見守りそのものに何よりも感謝しています。