生きた証

10月号の致知を拝読していると、運を伸ばすがテーマになっている。

ちょうど会社でも、先々月から運をテーマにしていたのでちょうどいいタイミングの記事であると道の実践の繋がりに不思議さを覚えます。

この運というものは福というものと私には同義語であり、運がいいのは福があるからとも思っています。この運とは何かといえば、私にとってははじめから決められたものという定義があります。

だからこそ運が善いというのは、その運を善いものだと素直に感じる心があるかどうかということになるのです。自分の境遇を嘆いてみても、それが与えられている現実なのだからどうしようもありません。

問題意識や危機感から、何とかしようと抗いますがそれも含めて運命というものは決められていることだと思うのです。決められている中で感じたことをどのように受け止めるか、受け容れるか、そしてそれを素直に感じるかでそれが禍にも福にも転じていくことができるのです。

運を伸ばすというのは与えられた環境の中でも一生懸命に真摯に生き切るということが基本にあるように思います。なぜならそれがもっとも自分に相応しいものであるからです。

しかし人間は欲があるからどうしても焦ったり、不満が出たり、危機感を募らせますし、特に向上心があるからこそ納得いかない日々の中で煩悶とするのも仕方がないと思います。

心を高め運命を伸ばすという言い方はとても素晴らしい表現だと思います。

そこには一度しかない人生を、思い切って生きた証があるように感じるからです。
思い切った人生になるかならないかは運と心で決まるということなのでしょう。

素直でなければ転じれませんから、素直な日々を真心の実践に省みようと思います。