子どもに遺すもの

内村鑑三に「後世への最大遺物」(岩波文庫)がある。

以前より、代表的日本人の定義が何であるのか、なぜ書き記すのか、そして今はどうあるべきかなどを深めていた時にふとタイトルが気になっていたけれどインスピレーションがありこのタイミングで出逢うことができました。

もともと友人である新渡戸稲造の武士道と共に日本人というものの本来の精神性、将来と世界にどのようにこれを伝え発信するか、それはやはり私たちの国に具わっている本来の大和魂そのものに対する祈りの行動であったように思います。

今の時代は、私たち日本人の誇りというものを見失ってきているように思えます。

戦争に負けて、世界の文化に入り混じりそもそも私たちはどのような生き方をしてきたのか、そしてどうあったのかというものも次第に忘れ去られていこうとしているからです。

しかしこの自然の美しい国に生まれ、私たちが天地の間でより善く生きた証は何よりも私たちの血脈とその精神性に根付いているはずなのです。

そうしてそれを後世に引き継いでいくこと、遺して譲っていくことこそが先人たちの願いで後人たちへの祈りではないかとも私には思えるのです。子どものことを思えば思うほどに、何を遺せるのか、何を遺すのかを考えない日はありません。

そしてここに代表的日本人と同じく、大切な日本の心、大和の心というものがあります。

私に響き共感するところを連ねて抜粋していきますが内村鑑三は先述した著書の講演の中で、このように魂に語りかけてきます。

まず、

「私は何かこの地球にMemento(メメント)を置いて逝きたい、私がこの地球を愛した証拠を置いて逝きたい、私が同胞を愛した記念碑を置いて逝きたい。それゆえにお互いにここに生まれてきた以上は、われわれが喜ばしい国に往くかも知れませぬけれども、しかしわれわれがこの世の中にあるあいだは、少しなりともこの世の中を善くして往きたいのです。」

そして後世への最大遺物としてこう続きます。

「それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。それが本当の遺物ではないかと思う。他の遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではない思います。しかして高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと、私がここで申すまでもなく、諸君もわれわれも前から承知している生涯であります。・・・」

ここで二宮尊徳を例えに、生涯ということを省みます。

「それでこの人の生涯を初めから終わりまで見ますと、『この宇宙というものは実に神様・・・神様とはいいませぬ・・・天の造ってくださったもので、天というものは実に恩恵の深いもので、人間を助けよう助けようばかり思っている。それだからもしわれわれがこの身を天と地とに委ねて天の法則に従っていったならば、われわれは欲せずといえども天がわれわれを助けてくれる。』というこういう考えであります。その考えを持ったばかりではなく、その考えを実行した。」

そしてこう締めくくります。

「それにゆえにわれわれは神がわれわれに知らしたことをそのまま実行いたさなければなりません。こういたさねばならぬと思うたことはわれわれはことごとく実行しなければならない。もしわれわれが正義はついに勝つものにして不義はついに負けるものであるということを世間に発表するものであるならば、その通りにわれわれは実行しなければならない。これを称して真面目なる信徒と申すのです。・・」と。

今に生かされ今を生きる自分の本来の使命を感じつつ、真心のままにかんながらの道を真面目に往こうと思います。