成長し合えるパートナー

先日、成長し合う関係について話をする機会があった。

人は人生の中で、色々なパートナーに出逢います。

それは仕事であれ、上司部下であれ、恋愛であれ、友人であれ、その時々で自分に必要なパートナーに出逢うのです。自分をより成長させていくために、人は出会いを求めてその出会いを通じて学びあってお互いにないものを引き出していくという感じです。

しかし私はこのお互いにないものと思われがちなものは、実はあるからだと思うのです。そしてそれは同体験の気づきや共感によって得られると思うのです。

例えば、ある海辺でとても美しい夕陽を眺めてその美しさとその大自然の妙なるものを語り合ったとします。そこで自分はその夕陽に人生を照らします、そして共に観た人もまた心の在り様を素直に語ってくれたとします。

そこではお互いにその人のその美しい心に感動するのですが、それはお互いがもっているからであると思うのです。お互いが持っている心、そこに共感、共通、共有できるものがあるということです。もしも、それがなければお互いに通じ合うことはありません、だからないものを引き出すのではなくあるものを引き出しているのです。

一見、タイプが違った人同士が惹かれあったりするのも見た目とは異なり同じ心を持っている、同じ美しさを共有できるものを互いに持っていると思えばやはりご縁は不思議であるといつもそのようなときに出会いを省みます。

そういう自分のもともと持っているものをその人の持っているものと顕し方が異なることで新しい自分の感覚に出会い成長がより引き出されるのだと私は思うのです。

そしてそれは同時に互いに同じ時に同じ場所で同体験などを通じてもともとあるものが活性化され引き出していくのだと思います。だからこそ、仲間や同志、パートナーという存在はお互いに成長するために必要不可欠な大切な存在であるのです。

しかし、成長を続けていくパートナーというものはお互いに自分を深め続けていく必要があるようにも思うのです。それは何人も出会えばいいというものではなく、同じ理念を持ち、同じ方向で、同じ心で、同じ真理を探究する、このようにお互いに深めていくことでお互いの持っているものをさらに深く継続して引き出していくことで成長し合えるパートナーに自分もなるのです。

どちらかだけが深めていてもそこには共感や共通というものにはなりません、やはりそこには人生の同体験を通じて深めていくことで互いに感じ合うことを分かち合い学ぶのです。

教育とは、その人のもっているものを引き出すとよくいわれます。その引き出すという言葉、引き算でもあるこの引くということはもともとあるものだからそれを導き出すという意味でもあろうとも思うのです。

今では、相手がないものだからそれを足させようとする傾向が強いし、もともとないものだからとないものねだりをするような関係をつくっている人たちが増えてきています。あるものを引き出していく、あるものを活かそうとする考え方が成長でき、しいては最良のパートナーと出会うための法理であるように思います。

自分の中にあるものをたくさん発掘していく中で、多くの自分と出会うのも人生の醍醐味。
日々に出会いを楽しんでいきたいと思います。