自分らしさの純度

純度を上げていくというものがある。

もともとの品質をさらに磨き上げていくという意味でもあります。

不純物が混ざってくると本来の純度は下がっていくという感じのものです。

これは何を言うかといえば、自分自身の生き方にもよるものです。

人は他人の評価を気にして、本来の自分らしさよりも周囲への仮初の自分を演じます。
そうすることによって、本来の自分がどのように成長しているかも分からなくなるのです。

そもそも本来の自分が他者の目線を意識しすぎて歪んでいたら、自分らしさの純度は観えません。自分の純度とは自然体であるとき、また自分らしくいてもいいと安心しているときに高まっているからです。

そしてこれは自分の意識を自分にあわせて他人からの評価ではなく自分で評価ができるようになるときに高まります。もともとの自分がどうであるのか、それは自分に矢印を向けて周りや相手を意識しないときに感知できるものです。

また自分自身が一心に実践を続けていく中で自らの未熟さを覚り、自分自身と正対し、学び変化し続けることでその純度もさらに上がります。

つまり自分の品質は、自分で管理して自らの実践で上げていくしかないということです。

人は成長するとき、生きがいを感じますし、成長していると実感するときモチベーションも上がります。これは純度が上がったと感じているからです、そしてその純度は自分らしさの純度であり、本来の自分というものに出逢っていくプロセスを楽しむことができているからです。

自分というものを向き合うとき、周りが気になるのはまだ本来の自分に出逢おうとする意識が低いからのように思います。無難に生きる事よりも、自分の純度を上げていくことで本来の自分のポテンシャルに気づいていくことこそが自分を成長させていくことのように思います。

成長とは、自然であり、自然はそのものらしさを存分に発揮していくことのように思います。

子どもたちがらしさを発揮できるよう、自分らしさの純度にこだわっていきたいと思います。