理の実践

先日、ドイツ研修の帰国の際に隣の席に座っていた栃木の老夫婦と親しくなった。

その老夫婦は、毎年、この時期にヨーロッパへ旅をするとのことで道中のお話などをたくさん伺うことができました。奥様には、玄米食の話や健康の話、教育の話などをしたり、またどのような人生の歩みをしたかなど話をしてくださいました。

また旦那様は、元々技術職を遣り抜かれて海外指導なども出てご活躍だった生涯のお話をお聴きしながら本物と偽物ということについてのお話を深めることができました。如何に本物の商品を創っても廉価版が出たり偽物が流通するということについていろいろと教えてくださいました。

これには考えさせられる善い機会になりました。

本物と偽物の違いということについては、色々な観方があるように思います。成功事例などもそうですが、嘘がないことをどれだけ持っているか、それが真実かということにどれだけ精通したか、原則や法理に則って取り組まれたかというものがあります。

偽物はあまりそれ自体が考え抜かれておらず本物をなぞるようにしていて、しかもよくその理由もわかっていませんが見た目をあわせてきます。この本物を見極めるというものは、そこには磨き抜かれてシンプルになった答えが必ず存在しています。ここでのシンプルさというものは、理に適うものが誰にが見ても明確ということです。

私はそれを理の実践によって表現することにしています。

もちろん違いが表面では分かりずらいのですから商品がさも本物のように語ることで人々を集めることもできますがそれではどうせ長続きしないからすぐに分かります。本物は理に沿って長く続くし、そこには王道ともいえるものが存在しています。私たちが取り組むソフトなども、発達という法理に沿っているから普遍性があるのです。

そして法則や法理に照らしているものは自然なのだから本物だと感じるように、同じく自然であることが本物だと定義しているのです。何が不自然かというものは、自然から照らせばよく分かります。

それが私の言う、自然をお手本にするということです。

さて、今回の旅では他にも行きの飛行機内ではせっかくなので久しぶりに日頃話をしない話をしようとして充実した会話をクルーとでき、帰国の飛行機内では栃木の老夫婦以外にもドイツ人の11歳の子どもに日本語を2時間も教えたり日本のことを伝え語ったりといった出会いに恵まれました。

あれから2週間の滞在予定とあったので、あの子はどのような体験を日本でして帰国してその人生に影響を受け与えるのだろうかと思うと、誰にせよ運によってその人らしい未来が開けているのを実感します。

このように旅の不思議は余韻にもあります。

旅の妙味と五感の余韻に心は遊び、それをまだまだ楽しんでいます。