母国語と言霊

先日のドイツ研修でも母国語教育についてとても熱心になっているのを聞きました。
確か以前、オランダやフランスでも母国語を正しく指導する教科が入っていました。

今、食べ物をはじめアメリカの文化が流入し日頃の言葉づかいや生活までがもともとあったものから変わってきているようです。先日のドイツでも、ドイツの伝統的な古き善きものを大切にするというものから新しくて便利なものが広がっているのを実感しました。

何が大切で変えてはいけないものか、そして何を変えるのか、そういうものがよく精査されたものもその国の母国語によって形成されていると私は思います。

特に日本語というものは、言霊というように「有難う」「勿体ない」「御蔭様」をはじめお天道様の前にとても謙虚に生きたものや、また日本古来より素直に生きた先祖たちが生きた生きざまを学びそこから今の自分たちの生き方を習っていたのです。

つまり、国語というものは単に読み書きをするものではなく本来は先祖から代々受け継がれた生き方や思想を習うものなのです。どのような文化を私たちは生きているのか、その文化をどのように活かしたか、そういうものを学びその国の人の骨格を得ていくように私は思います。

その国語を教えるということは、その国語が使えるということです。

つまりその国の歴史や思想、また正しい言葉を使えるような生き方をするからこそはじめて国語は教え導き学ぶことができるように思うのです。単に知識として得るものではなく、それは日本という国を愛し、そして学び、そのものの文化を尊び謙虚に生きるということがそういうものではないかと思います。

私には恩師がいて、その方は国語を教えていた方です。

その人の生き方に触れてみると、とても日本のことを愛し、日本という文化と歴史、そして世界のことに精通し、融通無碍に歩んでいらっしゃいます。こういう人から学ぶ国語の中にこそ、真の母国語があるのではないかと思うのです。どこで育ち、どこで生まれたかというのはとても大切なことで私たちが先祖から脈々と受け継がれて魂や心を母国語に感じます。

自分たちの使っている言葉、その母国の言霊を大切にしていきたいと思います。