ものづくりの美学

ドイツのものづくりの心についてここ数日間はずっとインスピレーションに満ちています。
このドイツの美学ともいえるものづくりの心とは何かについて感じるのです。

もともと「美学」という言葉は、ドイツの哲学者アレクサンダー・バウムガルテンが1750年に『美学』 (Aesthetica) を出版したことが、美学が哲学の一領域として定式化される一つの契機になったとされています。

先日のドイツ視察でもそうですが要所にその土地の中で感じたものの中に、この美学というものを大切にしたものづくりにおける文化が根付いているように思うのです。

もともと美学というものは、私の解釈ですが生き方を昇華したものという定義があります。

その人がどのような生き方をするかにその人の美学というものがあり、自分というものへの誇りと理念に対する忠義、正しいことへの信念と言葉を並べればいろいろとありますがつまりその人そのものの表現であろうと思うのです。

どのようなものを生み出すかというものは、その人のセンスによります。
そのセンスとは、その人の生き方や在り方がカタチになって顕われてくるものです。

なのでいい加減なものをつくらない、その人自身だからこそものづくりには美学があるのです。

例えば、エジソンであればあの不撓不屈の信念が発明というものづくりの生き方を顕し、本田宗一郎でいえば大好きなものに夢中になったというものづくりの生き方を顕しています。

つまり、ものづくりではなく、その人そのものの生き方がその「もの」に顕われ出でてくる。その人生の問いがものになっているのです。

ドイツという国の大切にしているのは、その根底にあるドイツの哲学、そして美学のように思います。私たち日本でも、どんな状況になったとしても美学を貫いている美しい人たちがまだたくさんこの国の端々に残っています。

大量生産大量消費というものづくりの生き方もありますが、昨日のブログで書いたように簡素な物、シンプルなもの、つまりはよく生き方が練り上げられたものが世の中をよくしていくというようなものづくりの心もあるのです。

私自身、姿勢を正し、自分の生き方が顕われるということを肝に銘じてどのようなものにも美学を持ち、子ども達のために取り組んでいこうと思います。