生き残る道

遠野物語を著した柳田國男に民俗学がある。

先日、お米の先祖を辿っていると海上の道という名で題された著書に久高島のことが明記してありお米は海から先祖と共に渡ってきたのだとありインスピレーションがありました。

先祖について調べているうちに、民族学というものがどう起こってきたのかに興味が湧き色々と調べることができました。

この民俗学は、もともと「人類学」を修めた伊能嘉矩が「土俗学」というものを立ち上げそれを佐々木喜善に引継ぎ、そこから柳田國男と出会い「遠野物語」が世間に発表されます。元々、私たちの先祖がどうしていたのかどうであったのかというものを深めるというのは今までどのように暮らして何を学び子孫へと伝承してきたのかを知ることになります。

特に生活習慣の中で、実験実地をし何が善くなり何が悪しきものであったかもその話材の中で伝えられるのです。思いやりや真心を込めて生きた方を伝えて美談にしていくこともできますが、同時にあさましいものおぞましいもの、嫉妬や強欲など人間として避けては通れないものも同時に真実として口伝にしているのです。

ここに、生き抜いていく智慧や今までどのように生きてきたかの人類としての英知を伝承するのです。生き残るということは、今まで人間が大切にしてきたことをいつまでも忘れないことです。それをどのようにすればいいかと伝えていくのが先祖のお役目であろうとも思い、それを子孫が掘り起こしてさらに伝承することが滅びないための方法のように思います。

柳田國男の「先祖」と題した著書のはじめにこのように書かれています。

「人が平静に物を考え得るようになるまでには、なお何年かの月日を待たなければならぬことは止むを得ないであろう。しかし、いよいよこれから考えてみようという時になって、もうその考える材料というべきものが乏しくなっていたら、どうであろうか」

「日本民俗学の提供せんとするものは結論ではない。人を誤ったる速断に陥れないように、できる限り確実なる予備知識を、集めて保存しておきたいというだけである。」

「ただわれわれが百千年の久しきにわたって、積み重ねてきた所の経歴というものを、丸々その痕もないよその国々と、同一視することは許されないのみならず、現にこれからさきの方案を決定するに当たっても、やはり多数のそういった人たちを相手に、「なる程そうだ」という所まで対談しなければすまされぬのである。」

とある。

もともと自分たちがどのような経歴で歩んできたのか、その歴史を正しく知り伝えていくことは今までどのように生き抜いて今、此処まできたのかを知る唯一の王道であるように思います。

別の民族が同じように生き残ったように私たちもどのように生き残るのかを学び知ることで、これからどのように予言し予見するかを自覚するようにも思います。

この先どのように生き抜いていくか、子ども達のためにも真摯に学問を果たさなければならないという使命感に背中を押されています。まだまだ実践ははじまったばかりです、しっかりと温故知新につとめていきたいと思います。