自燃力

何かを変えようと思う時、自分で決めるという時にその側面として必用なものがあるように思います。

それは何かと言えば、情熱や熱意のように思います。

例えば、自分を願うものに変わりたいと人は誰しも思っています。変貌を遂げて、新しい自分になりたいと思う時には決心がいるのです。そしてその決心とは、そのために素直に反省をして自分がこれから改めて何かをやると決めることのように思います。

そしてその何かをやると決めただけでは動かず、大切なのはその決めたことにどれだけの情熱と熱意を注ぐのかということになるように思います。それはどんな小さなことだろうということでも同じく、早寝早起きであったり、掃除をすることであったり、決めた日課を行うことだったり、挨拶をすることでも、決めたとしたことにどれだけ全身全霊の情熱と熱意を毎回傾けたかということが大事なことになるのです。

継続や持続するということは、それだけ長い時間燃え続けているものを自分が維持している。つまりは決めたことを暖めて薪をくべ続けて燃やし続けているということをいうのです。いのちも同じく薪を暖めて完全燃焼することで澄み渡った灰になって燃え尽きることができるように思います。

炭で例えるならば、最初の火種に薪をくべどんどん炎が起きてくるまでは必死に精進しその後は火を絶やさないように常に注意深く気を配り燃やし続けるのに似ています。誰かから燃やされる火ではなく、自分で燃やす火こそが本来の自燃ということになります。

自然で生き残るには、自燃で生きることが肝要になるのです。

自燃力というのは、このように自ら情熱を注ぎ傾けその火を暖め燃やし灰になるまで絶やさない力のことをいいます。誰にせよ、その太陽のような情熱はいのちの中に備わっているように私は思います。

些細なことでも情熱を懸ければそれが偉大なことの実現になり自分を燃やしていくことができます。

出来事というのは、自分の思い通りになろうがなるまいが、天命に従って次々に事件は起こりますし起きてきます。それを誰かのせいにや外因によって消すようなことにせず、素直に受け容れて常に自分自らが燃えていく、否、自分自らが情熱と熱意を全力で懸けることで変化というものを興すように思います。

自己改革とは、情熱と熱意があってはじめて立て直せるように思います。

子ども達にも自然の中で自燃するということ、やりたいことを遣る時の力、遣り切る時の力、燃やして燃え尽きた時のいのちの達成感、そういうものを感じてもらうようにまず自らが自燃力を高めていこうと思います。