仁義と至誠

日々の喧騒の中で人との関わりの感情というものはとかく大変なもののように思います。

コンサルティングやコーチングの中でも、もっとも身近な関係を仲善くあり続けていくのはそれほどに日頃の思いやりがあってこそのようにも思います。

無意識に自分の利害を思い、自分の都合のみの価値観に囚われていると次第に人との関係に思いやりが出にくくなってきて互いの主張ばかりがぶつかり合うようになるものです。そこに立場があれば、力がある人が正しいと言い張り、力がない人が我慢するという構図が生まれ余計に人間関係による感情がもつれるように思います。

孟子に義があります。
その中で何度か振り返るときに、気になる文章があります。

「孟子曰、仁人心也、義人路也、舎其路而弗由、放其心而不知求、哀哉、人有鶏犬放、則知求之、有放心而不知求、學問之道無他、求其放心而已矣。」

意訳もありますが、

「孟子が言う、仁とは本来の人の心のことです。義とは、本来の人の道のことです。その本来の道を捨てて指針もなく、その本来の心が出て行っても探し求めることを知らないとは、なんと不幸で哀しいことだろうか。人は家で飼っている鶏や犬が出て行けばどこに行ったのだろうかと捜し求めるのに、なぜにその本来の心が出て行ってもそれを探し求めることを知ろうとしない。学問の道とはこのことに他ならず、その出て行った本来の心をもとに求めることに尽きるのだ」

仁というものや義というものは、元々人に備わっている自然の姿でありそれを見失うことは仁義を失うことだと切に訴える姿に省みることの大切さを実感します。

また自分の身辺をふり返ると、天地には道理というものがあり無理をしているというのはどこか素直ではないことが起きていると思ってまた自分の中の素直な心を探しに行く必要があるように思うのです。素直な心はとても思いやりや真心、その優しさに満ちていて自分の損得勘定や利害損失に囚われずいつも王道の中で仁義礼智信の実践を行うことができるようにも思います。

しかし実際は、どうしても無意識に自分の自我が優先されて相手に求めて自分に求めないようになるから心は遠くに離れていってしまうようにも思うのです。

無理をすればするほどに感情というものは波立ってくるように思います。無理をしないというのは、道理に反しないということでそれは仁義というものを大切に学問を修養しているから無理がなくなってくるように思います。

自然というのは何も山や川、森や水に触れなくても自分の人としての生き方的なものを修めていく中で顕われるようにも思います。天人合一ではないですが、天の仁、人の義、その合致のように本来はそこを分けないほどに生き方や在り方を一致させて至誠になることをいうのかもしれません。

一つ一つの行動を素直に観照し、見直していきたいと思います。
感情的な出来事も呑み込んで消化し、それを前進する糧にし精進に換えていこうと思います。