改然の妙理

時間をかけてじっくり育っていくものにより善くしていくというものがある。

これは発酵の原理と同じで、今よりも善くしていこうとすることが生きるということかもしれません。人間は歳とともに、発育生成していくものです。じっとしていても身体も心も次第に育っていくようにできています。だからこそ、自然というものは浩然の氣に満ちていて万物は徳の中に育成されているというように思います。

自然というものの中に身心を置く私たちは、常に改善していくことが自然であるということです。

しかし実際は、大事なことを忘れてただ生きながらえることや目先に自分の目先の欲望のために動いてしまうことで様々な悪循環を抱えてしまうとも思います。

物事は禍福一円、常に出来事には意味が存在しています。

その意味を一つずつ学び、さらに今をより善いものしていくことで自然の法理にスパンと入っていけるというのが本質であるように思います。

発酵を学んでいく中で、私が感じることは継続していく中の改善にこそ発酵の真理があるのではないかということです。糠床ひとつをとってみても、やはり創意工夫がなければ味もなにも分からなくなっていきます。

常に研究と開発、そして弛まない創意工夫というものが自然の力を引き出すものであり、その状態の時はじめて人は自然を覚知できるように思います。

自然農も自然養鶏も自然発酵も、どこにも実践していく中で共通するものを見出せます。
同じ理念を共有しながら、日々に改善を繰り返すことに安息も安泰も活きています。

今年は「家」がテーマで、本日は会社のクルーたちと皆で寺田本家の蔵見学に伺います。

より善いものを取り容れ、より善いものに換えて子どもたちへ貢献していきたいと思います。
改然の妙理を楽しみたいと思います。