義の絆

義兄弟という概念があります。

これは固い契りにより血縁のない男性が兄弟に等しい関係になると書かれています。

世間では血縁がないだけで使われることが多いようですが、そもそも義という言葉は人の道のルールを顕すことであるから何をもって義と定義しているかでその意味も価値も異なります。

ただ血縁ではないというところが注目されるのではなく、本来は固い契りということが意義になるように思うのです。有名なものに三国志の劉備、関羽、張飛があります。他にはチンギスハーンとジャムカ、源義経と弁慶のように生涯の誓いを共にした関係があります。

生まれた場所が違えども、育ってきた内容が異なっても、死に際して目指しているところは一つ、私たちは魂の兄弟であるという使われ方かもしれません。

共に一度きりの人生を道を歩んでいくなかで、それぞれの人生の目的や目標というものを持ちちたいと切に願います。すると唯一無二のご縁に導かれ、運命的に出会った方と生死を超えたところで決めた生き方を信じ切るという意味かもしれません。

どんなことがあってもお互いの信じる道を信じ切るというところを同じくできることほど固い絆はないと思います。特に今のような時代は、関係性が希薄になり何を信じていいのか不安になってしまうような情報に溢れています。

そんな中でも清廉潔白に共に誓いを果たそうとすることに人生の美しさもまたあるように思います。

今まではあまり意識していませんでしたが、今年は「義」についての出逢いがたくさんあります。義の絆は、目には見えませんが確かに心の中に存在しています。そう考えれば、私たちの繋がりは切っても切れないような強い絆で結ばれているのです。

全てのご縁は互いを磨くための学びとし、さらにご縁を深めていきたいと思います。

有難うございます。