遣り甲斐と幸せ

自分の仕事の価値がどれだけのものかを知るということは大変な意義があります。

先日、もうコンサルに入り7年前になる園の職員取材の中で私たちと一緒に取り組んでいる実践をどう思うか尋ねるとその価値を大変高く実感していることをお聴きしました。

例えば、ブログの配信一つでもそれに自分の存在価値があるとし真摯に徹底して実践をしている姿に若いながらも将来の偉大な可能性を実感しました。何をやったかではなく、その意味やその価値を知る者こそが目標を大きく超えていくように思います。

仕事の価値を知らないということは、遣り甲斐を感じないということにもなるからです。遣り甲斐というものを辞書でひくと【やりがい(遣り甲斐)とは。意味や解説。そのことをするだけの価値と、それにともなう気持ちの張り。「―のある任務」】(goo辞書より) とあります。

つまりは自分の行っていることの本当の価値を自らが自覚しているかということに由るのです。

人は何をするにも、その価値を知って行うのと知らずに行うのは異なります。これは凄い仕事だと思って実践する人と、単なる業務の一環として取り組む人では仕事の価値が分からないのです。

この保育者も今まではそういう仕事ではなかった体験があったからこそ、新しく取り組む仕事の価値を知り、実感しているのです。いつも恵まれている人は、本当の仕事の価値を知るはずもありません。一つの実践を生み出すまでに、その裏に隠れた問題意識や危機感、哲学などがカタチにしていくのです。

遣り甲斐というものと等しく生き甲斐というものがあります。それを表現するのに、日本理化学工業の大山泰弘氏の紹介している言葉があります。

「人間の究極の幸せは、「人に愛されること」「人にほめられること」「人の役に立つこと」「人から必要とされること」の4つです。働くことによって愛以外の3つの幸せは得られるからです。」

生き甲斐とは幸せになることで、幸せとは愛されること、褒められること、必要とされること、そしてそれは誰かの役に立つと自分が実感して取り組むことだと思います。もっと自分を出し切っていきたいと、誰かのお役に立ちきっていきたいといった貢献意欲は自分の内面から開花させていくものでそれがヤル気、活き気になっていくように思います。

この程度の仕事と割り切っていく仕事ではなく、まさにその仕事の価値を自分で見出していくような仕事こそ、尊い仕事、楽しい仕事、遣り甲斐のある仕事になるように思います。仕事とは、何をするかではなく、どうあるかということに尽きるのです。

若い頃の自分の自他問を繰り返して鬱陶しがられていたことを思いました。

「この仕事は何の役にたちますか?何のためになりますか?」

当たり前に胡坐をかかないように真摯に実践を楽しみたいと思います。