彼方のご縁

彼方から来たものを選んでいくというのは、自問自答するときの方法論の一つです。

人生も等しく、何が起きるのかは全く分からないものです。自分の思い通りにいくことなどはなく、思い通りにいこうとしつつも思い通りにいかせたくないと心の奥では思っているのです。矛盾があるものですが、矛盾があるから現実と理想の間のこの地上にいるとも言えます。

自問自答というのは、単に考えることと思っている人がいますがそうではない気がします。

そもそも自問自答とは、来ているもの、出来事や事件に対してどれだけの意味づけをし、その意味を自分なりに選ぶのかということです。選ぶというのは、全て消去法でありどれが自分の答えであるのか、何が自分の持つ真実かを耐えて待つことに似ているからです。

人は選ぼうとするあまり、色々と余計なものを捨てられなくなるものです。捨てられないから選べなくなっていくのです。いつも捨てられないでいると、自分がどうしたいのかまで次第に分からなくなってしまいます。

なので選ばないという選択を決めれば、来ているものの中から何が一番ベストな選択になるのかをギリギリまで待つのです。待っていると、これだという感覚が訪れます。それは自我がないところでそのものと一体になった感覚のようなものではないかと思います。

例えば、仕事と一体になり没頭するというのは単に仕事だからではなく誰かのため何かのためと遣り切っているとそれが自分のためであると思える場所があります。恩着せがましくなく、感謝をし尽くしている場所です。そういうところで納得した決断のときこそ選んでいないとも言えるのです。

日々というのは、 流されなければ物凄い情報量が入ってきます。その一つ一つを大切に過ごし、意味づけし、今は何なのかとその他の部分を削り落としていけば自ずから自分の真の役割が降りてくるように思います。

自分でも気づかないものですが、この世はつながりの中にありどんな小さな小石であっても世間ではゴミと呼ぶものであっても何かの役に立っているものです。そしてそれは目には見えない偉大なつながりで役目を果たしているものです。

お役目は最期まで分からないものだから、真摯に生き切ることが人生なのかもしれません。しかしその役目を謳歌できれば、これほどの幸せはないのもまた生命の神秘ではないかと思います。

ご縁に感謝します。