求法の旅3

自覚大師円仁のことを深めていくと、その生は大義のために生きたことを実感します。

日記を読み進めていると円仁は、最澄の志を受け継ぎその教えを自らが成し遂げるために求法した生涯であったように思います。

夢枕に最澄が何度も立ち、円仁のことを思いやる言葉を遺しています。そこには師弟の絆があり、その御恩への感謝へ報いるために仁義を尽くしたのではないかと私は思うのです。

高齢でありながら、3回目の渡航でようやく唐へ渡ってからも、9年の歳月をかけて師が求めたものを探し出し、持ち帰り、竟にはその思想や文化、技術を日本の各地へと赴き天台の真理として仏の心を弘げるのです。

その証拠として、全国に円仁が開基、あるいは中興となって寺院が600か所以上になります。(天台宗典編纂所の調査による)昨日も、福岡県田主丸にある最澄と円仁が来て改宗をした寺院に参拝することができましたが、そこに遺志を感じることができました。

師を大切に慕い、その恩恵や感謝を自らの実践とその体現によって顕そうとする真心の人。その人柄が浮かんでくるのです。遺言では、「私の墓には一本の木を植えておけばいい」といい、これは二宮尊徳と同じように謙虚に分を超えずに生き切った人の最期の言葉として深く尊敬します。

また帰国後も、中国でお世話になった人たちへの恩返しを忘れずに来日の際の衣服や住まいなどを提供するようにし、また岐路で大変お世話になった赤山明神を奉るための寺院も遺言によって弟子たちが実現しています。

どの業績をとってもみても、大変な謙虚な姿に感動することばかりです。

表の中には出てこない、陰にあるものの偉大さ。その蔭の働き手の縁の下の力持ちによって今の人達の心にいつまでも生き続ける仏心仏道がある。その仏弟子の鑑のような生き方をされた円仁の義から学び直すことができました。

一代では成し遂げられない夢を実現するには、表裏一体、自他一体、仁義一体、師弟一体の業績があってのことかもしれません。その純真な思いに応えるのもまた真理です。曼荼羅に、胎蔵界と金剛界があるように、宇宙にも陰陽があるように、すべてはバランスの中にある一筋の光の中に真実が存在するのかもしれません。

1200年の時を超えて、成し遂げた偉業を観ればまだまだ学ぶ事ばかりです。

先人の生き方から学び、今の自分を尽くしていきたいと思います。