世界への挑戦

世界に出てみるとコミュニケーションの取り方に気づくことがあります。

中国でもそうですし、西洋でもそうでしたが、はっきりとイエス・ノーを話さなければなりません。これは別に当たり前のことですが、日本の場合は相手をまず気遣いながら話す文化があるのでなかなか急にノーとは言えないのです。

他にも、個のアイデンティティを重要視するあまり私かあなたかということがはっきりしています。先日の交通の乱れでトラブルが合ったときも、我先にと列に並ぼうとはせず周りのことなどはお構いもなく自分の主義主張ばかりを相手と戦わせるのです。

常に相手と自分、自我と自我のぶつかり合いのなかでコミュニケーションを発揮していくのが便利な言葉の使い方であろうと認識しているようです。

しかしそれを深く掘り下げてみるとどうでしょうか。

日本人は古来から、相手を自分のことのように思いやること、もしも相手が自分だったらと置き換えて考えること、また世間様というように自分だけではなく周りのことを省みて自分はどうするかということを大切にしてきた民族です。

これはコミュニケーションの本質、共有から共感までを一貫して発展させてきたものであり、私たちの持つ空気を読むとか行間を読むといった、間の文化であろうとも思うのです。

私たちは一神教ではなく多神教で、もともと繫がりやご縁の中で私たちが活かされているというように「私」ではなく「私達」という言い方をよくするものです。これは私達という概念のバックボーンには、常に八百万の神々がおわしますといった自分が生きているのは自分だけではないのだから周りを常に思いやって大切にしていこうという生き方があるのです。

自分に余裕がなくなってくると、また間違った個人の文化を鵜呑みにしてしまうとついて相手か自分か、敵か味方か、右か左かと、分けてばかり考えてその中心にある一円融合している場所を掴むことができなくなるものです。

西洋のように、正・反・合という概念はまだまだ未熟であり、本来は一円融合することが最も物事の本質を捉える成熟した方法なのです。これは若い人がすぐに議論をぶつけ合うのに対し、老熟した人たちが沈黙して物事を理解していくのとの違いに似ています。

様々な出来事をそのままにせず、それをよく玩味し、自分も相手のない全体のところで常に物事のご縁から答えを導き出そうとする智慧を持つ民族。そういう私達だからこそ、「もったいない」「おかげさま」「ごえん」「みまもる」「ありがとう」などといった一円融合した言葉を生み出していくのです。

もっと私たちは日本人であることを実践していく必要があります。そうしてそうしたことで生み出した技術や道具を今こそ世界へ発信していく必要があるのです。人口が増え続け、世界は渾沌とした情勢をみているとますます危うさを感じます。

新しい世界へ導くには、この日本人の融合思想が今こそ必要です。今はもう対立から結びの時代に入っていかないと今を生き切る私たちが進化したとは言えないからです。

子々孫々の平和のためにも、一円融合、一円融和していくためにも矛盾を内包できる胆力を人と人の間で磨き、強くしその土台を持って世界へ挑戦していきたいと思います。自分が日本人であることに深く感謝し、安易な言葉を使わず、思いやりのある言葉を大切にしつつ東西の融合を進めていこうと思います。