固定概念という世界

人にはそれぞれ固定概念というものがあります。それは自分の生きてきた中で常識であると思い込まされてきたものです。しかしたかだか今の時代の数十年の歳月のみを真実とし、それがこの世界だというのはあまりにも視野狭窄であろうとも思うのです。

本来は、人類だけではなく世界もまたあの宇宙も滾々と湧き出し連綿と続いてきた悠久の時の流れの中でその真実というものも変化し続けてきたのです。その時だけを生きている人がいくら切り取って真実を知ったかのように思っても、そんなものは知った気になっただけです。

なぜなら人はその時、不可能だと思っていることも、かつての人は可能にし、これからも可能にしていくからです。それが固定概念というものがあるという証拠です。

この固定概念というものは、自分の生きてきた身近なことや周りの人達、影響を受けたものから出来上がってきます。自分の中でできることやできないことなども、その人の固定概念によるものでそれを壊していかなければ新たな境地を実感することはありません。

頭でっかちに考えていると、どうしても固定概念に縛られて感性も鈍り直観も働くなってきます。ちょっと変であるという方が、ちょっとおかしいのではないかと言われるくらいでなければ自分の信じことを自分で行じていくことはできないのです。

しかし人間は、周りも常識であってほしいとお互いのことを縛ろうとするものです。その時代を生きる人たちの固定概念こそがその時代ともいえます。その固定概念の連鎖こそが私達のこの目に映る世界を創りだしています。そういうものをひとつひとつ変えていくことが時代を創る事でもあろうと思います。

そして時代を変えるとは、時代を変える人がいるということです。

それは時代に対して、自分の中の固定概念を壊して新たな創造を働かせてそれを周囲へ信じさせることができる人。坂本竜馬のようにビジョンやイメージを描き、そういう社会、近未来を予測しそういうものがあると感じさせてくれるような人が顕われるといってもいいのです。

人間がすぐに世界を諦めてしまうのは自らの中にある固定概念があるからです。
畢竟、人生は自分の中の固定概念を壊せるかどうか、己に打ち克てるかどうかなのです。

世界がこれからどうなっていくのか、その鍵を握っているのは子ども達で子どもたちの創造力こそが新たな豊かで幸福な社会を創りあげていくのです。固定概念を取り除くことは、刷り込みを取り除くことと同じです。

もともと備わっている自然を取り戻していくことは、固定概念をひとつひとつ外していくこととイコールです。常に今の自分と向き合い、自分の固定概念を外していき可能性を広げていくことで新たな世界を切り開いていきたいと思います。

新世界は常に今、此処、自分の中にあるとし、いのちを産み出していこうと思います。