「話せる」ということ

アニマルコミュニケーターという職業があります。有名なのが、アメリカのハイジさんという女性です。この方は、小さい頃から動物と対話ができる力が備わっていましたが警察官を経て体調を崩したことから退職し、田舎で静かに暮らしていましたが何か自分が御役に立てることはないかとはじめたのがこの仕事だったそうです。

私も幼い頃から犬と生活したり、様々な動物と暮らしていましたから動物のことが大好きです。幼い頃の夢は動物園の飼育係であったのも、動物と意志疎通をとることが楽しかったからのように思います。今も身のまわりには常に動物や虫たち、植物がいますからそれだけで幸せを感じます。

先日、GTセミナーで講師をしてくださった赤ちゃん学会の麦谷綾子先生のお話の中で言語発達も日本語を学んでいく過程で日本語の母音や子音を身に着けていくことで最適化していくということがありました。つまりこれは人はもともと持っている能力を、次第に今の社会に適応するために力をそぎ落として最適化するという考え方です。赤ちゃん学会の講師のお話をお聴きすると、いつも次第に大人になるということは赤ちゃんの時の能力が最高で後は、次第に必要な力だけに削られていくということを仰っています。

しかし本来、人には様々な特殊な能力が赤ちゃんのときあって、それをそのまま残している人がいるというのも事実です。

このハイジとさんいう女性もきっとそういう持って生まれた力を残したように思います。人は何でも特殊な力を持っていてもそれをどう社会に活かすか、世の中の役に立てていくかということが大切であろうと思います。

そのハイジさんの著書「動物とはなせる女性ハイジ」には私の日頃考えて居る事との共通点が多くとても共感しました。一部を紹介するとこうあります。

「人間でも動物でも、相手の声を真摯に”聴く”には、こちら側の心が少しでも閉じていてはなりません。そのことを、いま一度、自覚しました。科学者たちは、脳内に言語と理解を司る前頭葉がないため、虫たちは考えることも理解もしないといいますが、決してそうではないと、私は思います。」

動物や虫たちにも複雑な感情があり、言葉は喋らなくても心はあります。八百万の神々という見方から物事を鑑みればすべてのカタチ在る無しに関わらず心はつながりの中で感じられるのです。

またこの一節も大変共感できます。

「動物と”会話”をするということは、人間をとても謙虚にしてくれます。動物たちは素晴らしい先生です。すべての動物~馬、鷹、犬、イルカ、アレチネズミからガチョウに至るまでの、ありとあらゆる動物たちが、考え、感じ、感情をもつ生き物だということを、すべての人間にわかってもらえること、それが私の希望であり夢です。人間たちが動物をより良く理解することを助けること、それが私の使命です。」

人は謙虚でなければ人間とも対話できません。自分の中に驕りが合ってどこか相手を分かった気になっていたり、何でも知った気でいたらそれが意固地になり傲慢な自分をつくりだしてしまうのです。

現代の社会で人間関係が世知辛く貧しくなったと言われたりするのは、このつながりの中にあるものに気づきにくくなってきているからです。謙虚さというものは、相手に心を開いていくこととです。

一円対話の中のオープンでいるというのも、平等でいるというのも、そこには自分がまず謙虚にならなければ相手を共感していくことはできないのです。きっと何かあると思えるかというのは、自分の中の謙虚さと向き合っているということです。

動物や植物などと対話するなどというと馬鹿にされることの方が多いのですが、何のために行うかということです。よりよく自然を理解していくことが、心を学び素直を研鑽し謙虚の実践になるということです。

発達障がいというのは、昔の力を遺しているということでしょう。

見守っていきたいと思います。