日本源語

言葉や言語というものは、本来はその国の発祥から今までの文化を伝承して生まれてきているものです。私たちの日本語も、本来は日本人であるがゆえに使っているはずのものであったのです。

しかし明治以降、西洋の思想や文化を吸収して自国のものにするために言語を翻訳し西洋の事を理解できる言葉に日本語を変換し、西洋日本語というようなものにしてきたように思うのです。

今、私たちが使う言葉も実際は西洋の意味で使われていることが多いように思います。

例えば、グッドという言葉も良いと使われますが善いという字の日本語は西洋の良いという意味とは異なっています。日本の善いというのは、至善のことであり全てを「ことよさし」と受け止め受け容れ転じていくことを善いというのです。

しかし今の時代の善いという意味では、良し悪しの善いになってしまうのも本来の西洋の言葉で翻訳された日本語を使っているともいえます。他にも身近では、環境とか調和とか、循環とか、そういう言葉一つ一つが西洋から入った考え方や思想で使われ、本来の日本の思想の入った言葉では使われていないのです。

循環という言葉であっても、血液循環などの丸く流れるというサークルという意味で使われますが日本の循環では円満という全てのものが結びつながるということで使われていたのです。この結びという言葉もご縁と同義に使われるものであり本来の西洋人で使っているジョイントやミートなどという意味ではないのです。

日本語というものをちゃんと学ぶということは、人間である前に私たちは日本人であるという「源語」を学び直すということのように思います。

日本人とは何か、日本とは何かを学に民族学がありますが稲作からはじまり今にいたるまで何を食べて私たちが生きてきたか、その暮らしを通して何を大切にしたのかを伝承することが日本人として今を生きる私たちの故郷を鑑みていくことのように思います。

この故郷でさえ、西洋のホームタウンという言葉と同じではないのです。そういうものをひとつひとつ根源から紡ぎだし、本来の私たちの言葉が何を語るのかを自覚することが日本人に近づいていくことのように思います。

英語を勉強する前に、日本人になることが先であろうと思うのです。英語がしゃべれないのも、英語の持つ意味と日本語の持つ意味が理解できないからのように思うのです。私たちは、物音ひとつ、食べ物ひとつ、生き方ひとつ、全て異なる文化の思想の中にいるのです。

その思想をひとつひとつ紐解いて日本というものを生きることが、民族を伝承していくことのように思います。世間をみては、暮らしも政治も社会も日本らしさというものが何かということを実感しにくくなっているように思います。

今一度、日本の心、日本の精神、日本という言葉を再発見していきたいと思います。
私たちが世界へ伝えていくお役目に、この風土体験で昇華してきた日本文化があるのです。

言葉の理解から習い直していこうと思います。