活かし合う御役目

心の豊かさや余裕とは何かといえば、自分の役割に感謝できるということです。

人には、それぞれに大切な御役目というものがあるように思います。これは人に限らず、物でもそうですが例えばテーブルであればテーブルの御役目、布団でいえば布団の御役目、コップもお箸も全部その御役目があるものです。

もしもテーブルがベッドを羨ましがればテーブルではなくなってしまいますし、お箸がスプーンを羨ましがればお箸ではなくなってしまうのです。人間も同じく、自分の役割というものを忘れて他の誰かが羨ましくなりそれになろうとしたら本来の自分らしさ、本来の自分の役割を果たせなくなればそのことで御役目の持つ幸せを実感できなくなるのです。

この御役目を少し掘り下げてみますが、この御役目というものは活かされているということです。相手がいるから自分ができるという意味です。

先ほどのテーブルで例えてみれば、テーブルにはテーブルの御役目がありますがそれはテーブルとして使っていただける方がいるからテーブルになるのです。そのテーブルには、お皿を載せたり、食事をしたり、家族が団らんをしたり、お花を飾ったり、色々な尊い御役目を果たせます。

つまりはそれぞれのつながりに於いて、それぞれの関係というものの中に尊い御役目という自分らしさ自分のままでいい体験ができるのです。そのものがそのものとして最も活用できるということは、周囲の存在の御蔭で自分が在るという幸せを実感できるということなのです。

もっとも他を活かすようになるというのは、もっとも自分を活かしているという時なのでしょうから自分がどのような御役目をさせていただいているのかを忘れずに素直に取り組んでいくことが自他両善、自他一体善の実践ということなのでしょう。

つい矢印を外へ向けて自分が余裕もゆとりもなくなるのは、自分の思い通りにやろうとしたり、自分はここまでやっているのにとか、全部自分の力や自分の都合で動かそうとして自分本来の御役目を御座なりにするときかもしれません。

自分の御役目を勝手に変えたり、自分の御役目を忘れるのは心が貧しくなっていくときかもしれません。心豊かに生きていくというのは、自分らしく生き切っていくことのように思います。

相手がいるから自分はその御役目を戴けたことに対する感謝は、何事にもかえ難い有難いことなのです。自分の存在が周囲の御蔭であることに出会いの尊さを、出会いの素晴らしさを、生きている幸せを感じます。

いつどんな時でも、活かし合う御役目があることを決して忘れない自分でありたいと思います。