郷入郷楽

人が変化するときは、様々な新しいことを受け容れながら変わっていくものです。

柔軟性がある人は、変化を楽しめますが頑固であればあるほどになかなか変われないものです。本来の柔軟性というものは、柔軟か頑固かではなく、大切なものは変わらないのだからそうではないものは遠慮なく変えてしまおうといった思い切りがあるものです。

そうではない柔軟性というものは妥協したり、自分の考えを押し殺そうとしたりするものです。自分の思いと違うということは、新しい文化に触れているということに他なりません。

私は以前、何度か外国暮らしをしていましたが旅行でいくのと実際に生活するのは同じではありません。旅行であれば、観光ですから感動したり評価したり味わったりしても自分の価値観まで影響を受けるようなことはほとんどありません。

しかし実際にその国に住もうとするならば、だいぶ自分の価値観の影響を受けるのです。数か月から数年とそこに生活すると決めると様々に受け容れ難いような出来事に遭遇します。人間関係であったり、食生活であったり、ルールであったり、そこでは風土に従って様々な環境が今までの自分と生きてきた価値観と全く異なるからです。

そういう時は、それをどのように受け容れていくのかという自分の葛藤と正面から向き合っていかなければなりません、

古語に「郷に入っては郷に従え」という言葉が童子教にあります。これは読んで字の如く、里に入るならば里の生活に従えばいいという考え方です。

しかしこれはなかなか難しいことなのです。

生活とは習慣のことでもあります。そこには思考の習慣であったり、それまでの生き方で染みついてきた自分都合の生き方があるとも言えます。例えば、西洋化された簡単便利な社会の中でどっぷりつかってきた人が、今さら古民家の里山のようなところに棲むのなら最初は大変なものです。

囲炉裏や炭での料理などもしたことがないでしょうし、生活時間帯からその中での人々の暮らしのルールなども全部異なるからです。

生き方を変えるというのは、ちょっとやそっと観光のような入り方でできるはずはなく、その中に入ったなら覚悟を決めてその新しい生活を楽しみ馴染むことが大事なことだからです。

食べもの一つそうですが、無理に食べようとするよりも、興味関心を持って工夫し楽しんでいくことがコツのようにも思います。「どうせやるならば楽しもう、せっかくやるならば面白がろう」という意味が、この郷に入れば郷に従えには隠れているようにも思います。

新しい環境や風土は、新しい自分との出会いと発見の可能性に満ちています。

郷入郷楽、「郷に入れば郷を楽しめ!」、価値観も魂も揺さぶられるような体験を沢山積んでいく歓びは発見と発明、自分への旅を歩んでいる証拠ですからまずは自らの背中でその姿勢を見せていきたいと思います。