時々の初心~人の成長~

ソフトの名前の変更にあたり、色々な意味を考え直しています。

能の大成者の世阿弥に「時々の初心、忘れるべからず」という言葉があります。これは、出会いというもので置き換えて考えてみるとその本質が理解できるように思います。

出会いというものは、それまでの出会いがあります。ある出会いから、人は様々なことを学んでいきます。それは職業との出会い、出来事との出会い、人との出会い、場所との出会い、様々な出会いを生きています。そうして出会いから何かを学び、そして卒業したら次の出会いを学ぶのです。

同じ人と一緒にいても、御互いが出会ったことから学び、卒業すれば御互いに次の学びに進んでいくのです。御互いがずっと一緒にいられるというのは、御互いが努力精進するのを已めず常に切磋琢磨し学び合って成長進化し続けている証だともいえるようにも思います。

先ほどの時々の初心というものは、一つの物事を乗り越えるときそこでかつての初心に別れを告げて新しい初心に出会うという意味ではないかと私には思えるのです。

昨日のセミナーの情報交換会でも、見守る保育ということを学ぶと1年目も5年目も10年目でもその時の見守る保育に出会うということ、つまりは道というものには終わりがなく常に初心を新しくしていくことが大事だということをお話ししました。

これは温故知新と同じ意味であり、常に新しくしていかなければ初心を忘れてしまうのだということなのです。

ソフトを新しくするというのも、それまでの初心を卒業しもう一度、新たな初心に出会うという意味ではないかと思えるのです。それは単に新しく販売するとか、数字を出すとかという意味ではなく、自分を新たにして新しく次の初心を達するために真摯にゼロから学び直すということであろうと思います。

それは説明を単に変えるなどという次元の話ではなく、そもそもの新しい初心を築くことのように思うのです。またはじめから行うのかということを人は嫌がるものかもしれませんが、それでは初心に出会えません。

初心に出会い続けるのは、「もう一度新しく出会いたい」と願う心からはじまるのかもしれません。

人は長年共に過ごしていても、そのうち次第に落ち着いてくるものです。しかし進化成長を已まない人と共に過ごすなら自分自身も同様に新しくしていかなければなりません。そこには過去の出会いとは別に新しい出会いへと刷新していく努力がいるように思います。人は成長し合える人と出会いたいと心で願っています、だからこそ自分も一緒に成長できる関係でありたいから常に自己改心の努力をするのです。

つまり挑戦するというのは、新しくするということです。そしてそれが時々の初心ということであるのです。日々は真剣勝負です、ややもすると昔の学びの方が楽なのでそこに依存してしまいますが過去は過去、それをすでに習得したのならスパッと卒業して次の学びへと駒を進めることが進化成長の法理です。

同じソフトをやるにも、まったく異なる新たな意識に変えて最初からやり直していこうと思います。バージョンアップをやめてから4年目に入って、ようやく新たなバージョンアップに行き着きました。また次回もその時が来るのでしょうが、伴に理念の大切な道具と歩める日々を継承し歩めることを心から有難く思います。

しかしいつの時代も道具が変わるのではなく、変わるのは道具を用いる人の方だと心を定め気を引き締めて初心を学びこんでいこうと思います。

新たな出会いと別れに心から感謝しています。