志道の心得

吉田松陰に「士規七則」というものがある。

これは従弟の玉木彦介が元服したときに作り送ったものを歿後に子弟たちが復刻しそれぞれが持って自らの規範としたものです。

そこには道を歩むものとしての心得が書かれています。先日もまた新たに松陰先生とのご縁があり実践の大切さとその心構えについて学び直すことができました。

まずこの士規七則の冒頭にはこういう言葉ではじまります。

『冊子を披繙せば、嘉言林の如く、躍々として人に迫る。 顧ふに人読まず。即し読むとも行はず。 苟に読みてこれを行はば、則ち千万世と雖も得て尽すべからず。 噫、復た何をか言はん。然りと雖も知る所ありて、言はざる能はざる人の至情なり。 古人これを古に言ひ、今我れこれを今に言ふ。 亦なんぞ傷まん、士規七則を作る。』

私の意訳ですが、(本を読めばどれも善いことが書かれていてそれを学ぶことができる。しかし考えてみたら、それは読んだとは言わないのではないか。それは読んだことを実践しないからだ。正しく読みもしも実践するならばその書かれたものを永遠に実践してもし尽くせるはずもないほどのものだ。それなのにここにまた私は書こうとし言おうとするのは知っていることをどうしても伝えたいという人の情から興ってくるのです。先人たちはこれを昔から言っていますが、私も今ここにこれを言うことにする。心配しても仕方がない、ここに士規七則を創ります。)

つまりは、ともかく「実践」することが全てにおいて何よりも重要だということを述べているように思います。論語読みの論語知らずではないですが、実践してこそ価値のあるものを読むだけで分かった気になるような人物にはなるなと諭しています。

真理ひとつ、先人の人生で掴んだ叡智ひとつ、すべては実践することで永遠に学ぶ価値があるままだとしています。

今回はその中の一つの言葉と出会ったので自分なりに刻んでみます。

「士の道は義より大なるはなし、義は勇に因りて行はれ、勇は義に因りて長ず。 」

これも意訳ですが(志の道は、大義を超えるようなものはない。大義は勇気によってはじめて実践され、勇気は大義によって伸びていくのです。)と書かれます。

孟子の「自ら顧みてなおくんば、千万人ともいえども我行かん」(自分で素直に内省し、そこに正義があると思うのならば、たとえその道を一千万人が塞ぐことがあろうとも私は全うする)という意味でしょう。

吉田松陰は文字通りの人生を歩んでいます。孟子の講義をしながら、学問とは実践することであると何よりも背中で示したのが松下村塾だったように思います。

本ばかりを読み漁り、実践をしないような生き方をするのは勇が減退しているからかもしれません。もしくは義が弱体しているのかもしれません。天地人の中で、老子や孔子があってもそのどちらにも偏れば実践よりも盲目な批評や評論ばかりに陥るのかもしれません。

自らの決心やその真心にどれだけ純粋にいられるかは、日々の心掛け次第、自分次第なのでしょう。

克己復礼、胆力を磨き、実践を高めていく努力に邁進していこうと思います。
吉田松陰先生には鏡としていつも生き方を正していただけます、有難うございます。