いのちの光

今年も鞍馬寺にて新たなことに気づくことができました。実践をしているということで観えてくる世界があること、実践すれば顕われる世界があること、世界とは自分の内在する内省により開花していくのを感じると師が学んだことを確認することで安心の境地を得られるように思います。

私たちが当たり前と思っているものの中にこそ本質はあります。それは土であり光であり、風であり水であり、そのものその中にこそいのちが宿っています。

こういうものを一つ気づき、そして一つ悟り、一つに生きていくことで見えなかった世界がパッと開けていくのかもしれません。大人になるとそういう世界よりも自分の都合で見ている世界の方が正しいように転換されてしまいます。

しかし子どものような好奇心を思い出し、もう一度世界を観直してみると自然の中に居る自分を実感し、全体の働きを感じればいのちのままに活きることの歓び、正直であることの素晴らしさに感動するのです。

私たちは大地の上で、共存共栄しながら楽しく暮らしていますが時として有難い存在である太陽のことや月のことを忘れてしまうのかもしれません。そういう時に、決して忘れないようにと初心を維持している法がこの世に残っていることに出会えることほど有難いことはありません。

夜明け前の太陽も、夕暮れの月も深夜の星々も、みんな明るく私たちの道を照らしています。

そういう当たり前の中に、私たちが本来、観本とする根本の生き方があるように感じます。
魂を磨いていく時代にいて、子どもたちへの”願い”を共有できることに心から感謝しています。

最後に、鞍馬寺で新たに出会った心が香る美しい言霊をご紹介します。

「天を覆う雲は厚くとも、
太陽は常に大空に在る。
風が来て雲を払えば、
黄金の光が燦然(さんぜん)と輝く。
人の心に吹きすさぶ八風を、
苦悩の雲を吹き払う風として、
真実を観る智慧の光を迎えよう。

智慧の光が輝くとき、宇宙生命に生かされている万象を観る。
あなたも私も、花も鳥も、みな共に生かされているこの世界。
万象が織りなすいのちの相(すがた)、
宇宙に懸かる金色のいのちの網羅、
遠い昔から受け継いで来たいのちの絆、
私もその中の一つのいのち、
たがいに手を繋ぎ響き合ういのち、
あなたも私も、樹も水も、みな共に厳然と生かされている。

慈愛の温もりに抱かれ、智慧の光に照らされて、
豊かな活力に満たされて、
今ここに生かされていることの嬉しさと有り難さ、
この歓びと感謝の輪を広げよう。
あなたも私も、あの人もこの人も、たがいに光り合い照らし合う、
明るい未来を信じ希い(ねがい)ながら、
一日一日を宝石のように大切に生きよう。」

日々を大切にそして豊かに、いのちの光のように輝いて遣り切っていこうと思います。

有難うございました。