個が活きる

今までの教育では個を強くすることに重きを置かれてきました。

個だけを意識し、個が如何に平均より以上に優秀になるかということで教育を施されました。しかし社会に出てみれば、かつての強烈なリーダーが引っ張っていく時代というよりも如何に協力して豊かにしていくかということに価値観も変化しています。

高度経済成長の時は、環境が成長できるようにできていましたから集団を優先しては個はその集団に合わせるという考え方があったように思います。

しかし、集団を優先して個を合わせているうちに集団についていけない個は排斥するという考え方になってきました。これは西洋から入った価値観と思想であり、個人主義のもとに集団を形成している「管理」という考え方に根差しています。

本来は、私たちは個も集団も優先するという考え方で生きてきた民族です。それは個を善くして集団を形成するという「協力」という考え方に根差します。

集団を形成して生き残ってきた私たちは、個が時として強くなるときと弱くなるときを知っていたように思います。これは、状況に合わせて使う力が異なっているからです。

かつて日本三大私塾の一つに、日田の咸宜園がありました。広瀬淡窓が開設したのですが、そこにこんな言葉が残っています。

「鋭きも 鈍きもともに 捨てがたし 錐(きり)と槌(つち)とに 使い分けなば」

これは人間には、人それぞれ異なった能力がある。頭脳を鋭く早く回転させることが出来る者も居れば、頭の回転が鈍いものも当然いる。しかし、頭の回転の早い者だけが世の役に立ち、頭の回転が鈍い者は役に立たないものであるかと言えばそういうわけではないのだからその能力にあった使い方をすれば、役に立たないという者など居ないという意味になる。

これも同じく個を完璧にするという考え方から、集団の中で個を活かすという考え方が真に個を活かすということになるのです。

なんでも一人でできる人を育てるよりも、集団の中で如何に状況に合わせて光る個を創りだすか。それが環境であり、それが理念であり、それが優先していく心をのあり方であろうとも思います。

個を強くの思想にはどうも個を完璧にという方向にもっていこうとする固定概念に縛られているように思います。そうではなく、如何にその個がその個らしくいるかが真の強さなのかもしれません。

個が強くなるには、集団もまたその思想を受け容れる程に強くある必要があります。皆がそのように御互いの個性を尊重してこそ、真に個が活かされます。みんなで同じことをするよりも、みんなで同じ目標を設定して取り組むことに価値を感じます。

個人の目標は集団と如何につながっているか、集団の目標が如何に個を活かすのかを考えて配慮していくのがこれからの時代のマネジメントになるのでしょう。

今年は新たに挑戦を続けていきたいと思います。