防災の本質

先週末と昨日は都内で大雪が降り、道は所々凍りまた積もっています。

そうなると都会では、すぐに気象の影響を受け交通が麻痺します。人工的に造られた都市では、人間を中心に組み立てていきますから自然というものが入る時に機能が低くなるのでしょう。

私たちは知らずしらずのうちに、麻痺していくのはこの自然から遠ざかっていく感性のことだと思います。

例えば、子どもは落雷や突風にもとても怖がるものです。他にも、地震、大雨、あらゆるものに敏感に反応していきます。これは本能が自然の畏怖を感じるからあろうと思います。しかし都会に住んで、色々な知識を持てば大体こういうものだろうという思い込みや刷り込みを持つようになります。そうすると、想定外であることは起きないと錯覚するのです。ここに危機意識が低下する罠が潜んでいるように思います。

本来、自然というのは想定外のことばかりが起こるものです。

地震や津波、火山の爆発や竜巻、洪水、寒波や熱波なども私たちが想像するのをはるかに超えたものがやってきます。歴史を見てみても、想像を絶する高さの津波や恐ろしい爆発、何年も続く寒波や熱波など常に想定外の出来事があったことが証明されています。

まさか起きないだろうでいつもいたら、今回もまた起きないだろうという感性になり竟には何も感じなくなっていくのです。交通が麻痺するのを分かっていても、たぶん大丈夫だろうとしていつまでも働こうとするのもこの感性が鈍ってきている証拠なのです。

以前、釜石の奇跡というDVDを拝見した時にも感じたのですが自然を畏れ自ら逃げた人たちが助かったという事実に、納得するものがありました。自然から離れたところがもっとも危険なところであることは東日本大震災の時に経験したからです。

本来の私たちの感性が鈍らないようにすることが防災の本質ではないかと私は思います。これは天災だけではなく人災に至るまですべてその危機意識が低下しないような訓練が必要だということです。これは自然だけに限らずありとあらゆる自らに降り注ぐ危険や危機というものは、日ごろのその危険や危機に備える感性がなくなることで災害となり発生するからです。

これは生きていく上で、生き残る上で、人間が何よりも失ってはならない感性です。

カグヤでは3月11日を「大切なことを忘れないDAY」として会社を休みにして防災学問と防災訓練の日にしています。これもまた、忘れてはならないものを子どものモデルになるようにいつまでも覚えていようとする私達の試みであり理念の実践の一つです。

人間都合でいることの怖さ、本来の自然への畏怖の価値を忘れずに常に機会を逃さずに行動していきたいと思います。今の生きる私たちが遺志を受け継いで子どもたちを守り抜いていきたいと思います。