固定概念

人間には誰しも固定概念というものがあります。

そのものの本質を自ら考えるのではなく、誰かが何かをいっていたからと鵜呑みにしたり、流行や何らかの情報をそのままに思い込んで受け入れてしまったらそれが固定概念になるのです。

人は考えるのをやめることで、物事を単純類似化し画一的にしようとしてしまうものです。分類を分けることで、自分の中で整理するのは脳が行うのでしょうが本来は複雑なもので渾然一体となったものを分けて考えはじめたことから物事の本質が観えなくなっていくのでしょう。

しかも世の中には類似したものから取り組むということで、分業し技能を分けていきますからその技能からものをみたら分かれていない方が怪しいとか不可解に見えてしまうのです。

その最たるものが決めつけというものであり、きっとこうだろうとよくも考えず自分の固定概念に周りを合わせさせようとしてしまうところに失敗もまたあるように思います。沁み付いた固定概念を取り除くには、向き合って受け止めてもう一度ゼロベースで本質から考え直すプロセスを通過することが大切なように思います。

しかし実際は、同時に自分の中の感情が揺れ動き結果を先に思い込んで決めつけているからこそなかなかそれを覆すことができません。きっとこうだとか、きっとああだとか最初に分かった気になってしまっているからこそ自分の世界を変えていくことができないのです。自分の世界が変わらないということは、実際の世界も変わらないということですから同じところをループするだけになってしまうのです。

このループを抜け出すには、分かった気にならず勇気を出してやってみる、そしてそれを本質に照らしてフィードバックすることがあることで少しずつ抜け出せるように思います。

その本質が何かというのが理念でもあります。

理念は決して外罰的なものや外責的、もしくは外省的に誰かに押し付けるものではなく本来は内省的なものなのです。つまりは理念は自ら省みるものであってそれは本質に帰すのは自分自身であって自分以外の周りを本質にするわけではないということです。自分が正しい相手は間違っているというのも固定概念です。

本来の目的を忘れないようにすることで自分の固定概念というものの縛りを抜け出せるように思います。だからこそ何度も何度も日々に省みるものを持てるかどうかは本質的に生きる上においてとても重要ではないかと思います。

言われたことを盲信しただやるだけのステレオタイプになってしまえば、その時点で自分の固定概念の中でのみ生きてしまうことになります。如何に自分を通すときにそれを本物にするかは個々人各自が実践において行わないといけないものです。それが自分の人生だからにほかなりません。

これらの刷り込みを乗り越える先に、目指した本当の理想が存在します。生き方を貫くというのはなかなかすぐには理解されませんが、社業を洗練しより高度な技術を磨いていきたいと思います。