歴史の重み~平和維持の本質~

先日、「鬼に訊け」宮大工西岡常一の遺言というDVDを拝見するご縁がありました。

この方は、法隆寺、薬師寺の宮大工棟梁として先人たちの思いを紐解いてその意義と価値を甦生された方です。映像を観ていたらとても大切な文化、伝統、そして伝承することの重み、また生き方、あり方に至るまでを実感することができました。

今回、印象に残ったお話の中で法隆寺や薬師寺の伽藍の修理などで国から派遣された学者や建築法などによって本来、木造建築の中になかったコンクリートや鉄筋を入れさせられたことでした。それに西岡常一さんが信念をもって意義を立てているうちに、法隆寺にはまるで鬼がいると揶揄されて「鬼」という綽名がついてしまったようです。

しかし少し考えてみるとすぐにわかるのが、1300年も数々の災害や自然現象を乗り越えて建っている建物の仕組みを尊重しようとはせずに、今の進んだと思っている文明の科学を押し付けていくというのは賢いやり方とは思えません。

文明では、人間が後ろ盾になって法律や学術理論によってその科学を証明しますが文化では自然の篩にかけられた歴史や時間が科学を証明するのです。

自分の浅はかな考えなどわずか数十年であるのに対し、歴史は自分を含めた何代も何代もかけて数百年、数千年と考えられた深淵なものであるのです。

その先人たちの智慧や仕組みを考えたうえで、今の文明の価値を試すのならいいのでしょうがその仕組みを知らないのに自分の考えが正しいというのはどうかと私も思います。知識というものは、理屈では合っているのです。しかし仮想ではなく実相実在する現実では理屈抜きにして合っているものがあるということなのでしょう。

それが自然か不自然か、調和か不調和かということを直観するのと似ているのです。

1300年生きた檜を使うからこそ1300年生きる、鉄もしっかりと打ち錬磨し叩いたものだからこそ1000年生きる、そういう長い年月いきたもののいのちをそのままに活かそうとする自然の叡智は、人間が加工してつくったものよりも価値があるということなのでしょう。

西洋文明というものは、ビタミンとか栄養素とか色々といいますが自然に野生で育ったみかんを一個食べそのものの「いのち」を身体に吸収した方がはるかに元気になるのも知らないかのように推し進めていきます。

人間の知能の方が、自然よりも勝っている。自然を人間が征服することが価値があると勘違いをするからこそ、おかしな文明が広がっていくように思います。文化というものは、自然を尊重して畏れ敬い生き活かされていることに感謝するから継承できるように思います。

明治以降、大切な文化が目先の利に迷って次々と否定され喪失していきました。まさに論語、「大学」にある「利をもって利とせず、義をもって利とする」ということを守らなかったからでしょう。道義や道理を蔑にしても利益があると勘違いするのは、人間が歴史に対して傲慢になっているからであろうと思います。

伝統が次々と文明に破壊されているのを観ているとまるで戦争のようです、西岡常一さんの平和を願う真心がこの映像より伝わってきて心に沁み込むものがありました。

現代建築ばかりが最高の価値があると思ってしまうのが世の常なのでしょうが、伝統建築の真の価値を知らずして世の常を語るのではないという声が聴こえてきそうです。

信念を貫くことを大切に、自然経営を心掛け初心を伝承していきたいと思います。