経験の質量~見守る実践~

人生というのは経験することですが、その経験には無駄なものが一切ありません。

例えば、人間はかつて経験したことが必ず次に役に立つという仕組みになっています。ある病気の体験が誰かの役に立ったり、自分の失敗成功体験がそのまままた誰かの役に立ったり、自分が味わって共感して学んだことはすべて何かの時に役に立つ日が必ずくるのです。それは思い返してもなかったといっても、スパンが短いだけで長いスパン、子々孫々時代を跨いで観れば必ずどこかで役に立っているのです。

自分の体験を大事にするというのは、自分の体験することは必ず役に立つと信じることなのです。その体験を味わい経験を積んでいく中で、誰かがそれを必要としてくれるようになります。これは自他は繋がっているという意味ですが、自然は全体と渾然一体になって循環しているものです。だからこそ、自分の行動や体験は誰かに必ず影響を与えていますし、同時に誰かの影響を受けて自分も影響を受けているのです。

だからこそ、自分の体験という役割がある、自分の経験という使命があると考えるのです。

人生は道場だと定義しさえすれば、日々どんな場面も人生練習であり、如何に自分の今の体験を味わい尽くして質の高い経験をするかというのが自分の人生の御役目を果たすことになるのであろうと思います。

ふり返れば、真心を籠めて誠実に誰かを思いやり取り組んだ実践が何よりも将来、大切な人たちや支えて下さる人たち、仲間や見守り合う関係において一番御役に立てている気がします。

御恩返しとは自分の人生を真摯に生き切ることではじめてできるものなのかもしれないと私は感じます。自分を中心に良し悪しや正否を判断するのではなく、そのものの体験はあるがままの経験として尊ぶことが何よりも大切なのかもしれません。

自他の経験を尊重していくことで見守る実践の質量を高めていきたいと思います。