林檎聖人~地球人~

昨日、奇跡のりんごの映画で有名な木村秋則さんの講演会にクルーと参加してきました。
自然栽培という、新しい栽培方法を提唱されその農法を拡げるために活動されていました。

今の慣行農法では、地球が疲れてしまうということで肥料や農薬を使わないで自分の目と手を代わりにして育てていこうという考え方で実践されているものです。

講演では、最初に大小のりんごをポケットから取り出して 「最初はこんなに小さなりんごが30年経ち今ではこんなに大きくなりました」と語りかけ、これが現実ですと見せてくれました。その上で「本来、農の世界はものの大小が判断基準ではないのです」と言います。続いて「りんごは、毎年今年はこれで一生懸命だった、来年はもっと頑張るよと言ってくれているんです」と話す姿にまるでりんごそのものが喋っているかのような自他一体の姿を拝見しました。

世界中ではまだまだ人間の食糧の確保のために常に新しい肥料や農薬が沢山使われ、大量生産されています。りんごも同じく、消費があるから生産するのですがとにかく大量にと生産されることで土はどんどん疲弊してきています。

そこには何の疑問も思わず、人間だけが生きているかのような錯覚に陥ることで畑の土がどんどん生きもののいない真っ白な無生物無機質な姿に変化してきています。本来の地球が喜ばないようなやり方で無理やりに働かせてしまうと豊かであった生態系もまた貧しくなって焦土のようになっていくのかもしれません。

そもそも農薬や肥料というものを足さないという考え方は、無理やりに育てないということです。そのものが育つのを見守るのですから、足す必要はなくよりそのものが育つような環境を手伝っていけばいいのです。言い換えれば私の言葉にすると、何もしないということでありそれは天に従うということです。無私と無我ともいってもいいかもしれません、そういう境地であるがままであることを尊ぶことで自明する環境こそが自然であるというように定義しています。

それは感謝を基盤にして、あるがままであるということですから人間が謙虚でいるということです。謙虚な心で育ち合うことや、素直な心で学び合う環境こそがもっとも自然に近づくことではないかと私は思います。

話を戻せば、最後に「今、耳に入ってくるニュースはミツバチがいなくなったとか蝶がいないとか、そういう話ばかり、今私たちは何をなすべきか、日本中の人達は未来のために真剣に考えてほしい。」とありました。そして続けて「運河や大河も最初は小さな川からはじまった、信じていけばそこに必ず立派な道ができる」と。

今、私たちも見守る保育という実践を拡げようと自分たちも実践を行いつつ、仕組みを創造し仲間を増やしていますが業界が異なっていても同じ志で生きる人たちが真摯に努力する姿を観ると勇気が湧いてきます。

決して一人ではないのだから、みんなで力を合わせて地球が喜ぶような生き方と働き方、太古の昔から日本人が大切にしてきた天照大御神を中心にした社會をもう一度、復興、復活させていきたいと心に誓いました。

常に時代はうねりをあげながら変化を已みません、自然環境も待ったなしで偉大に揺れ動いています。この先のことを思えば、この今が文明に課せられた最期のチャンスなのかもしれません。同じ地球の上に生きるものとして地下や根っこは同じ土から出でたいのちなのだから天の命じるままに、このいのちそのものを運んでいけるように自然から学び続けていきたいと思います。