大和の言霊

先日、世田谷の松陰神社に参拝する機会があり純粋な志に感応しました。

以前、ヤマトタケルが大和の風土であることをブログで書いたかもしれませんが私の思う純真な風土人の一人がこの吉田松陰先生です。

自然をお手本にしていますが、天人合一に自然一体となった純粋媒体の人物の生き方に触れるといつも心が揺さぶられます。もっとも有難いことはその人の遺産が歴史として書物として口伝として心に残っていることなのかもしれません。

その遺訓や遺産を志で承ることが志士の心得なのかもしれません。社會に出でては仕事をしますが、志士でなければ何ものかということでしょう。ただ自分が貪るために生きるのではなく、豊かに何か大切なもののために生きたいと願うならそれはもうすでに志士の一人です。

初心や理念、志を重んじて生きる事こそが生き方となって受け継がれていくように思います。

吉田松陰に下記のような大和の言霊が残っています。

「夫れ重きを以って任と為す者、才を以て恃(たのみ)と為すに足らず。知を以て恃と為すに足らず。必ずや志を以て気を率ゐ、黽勉(びんべん)事に従ひて而る後可なり。」

(重大な使命を掲げ、それを自らに課すものは、決して才能を頼みにしても、知識を頼みにしてもいけない。必ずその初心や志を以て仕事に励まなければならない。その時々の自分の思い付きや単なる小手先のテクニックなどで仕事を片付けようとしたり、いたずらに知識ばかりを増やしてはいけないのである。)

「士は過なきを貴しとせず、過を改むるを貴しと為す。」

(失敗して恥をかくのが嫌で挑戦をしないのは取るにたらない小人のやることである。志士はそういう無難であることを尊いとは決して思わない。使命感に生きる人は失敗してもすぐにその過ちを認めてすぐに正すことを優先する、チャレンジしては改善することを尊いとしているのです。)

最後に、心に深く響く言霊です。

「自らその暗劣なるを忘れて日夜勉励し、古賢を以て師と為す。」

(自分が誰かよりも劣っているとか能力がないとかそういうことを思い煩うのを忘れるほどに日夜精進し真摯に実践することを怠らず、古の聖賢の背中や足跡を先生として生きていきなさい。)

意訳ですが、言霊の受け取り方はその人の心で受け取るものです。世間から学びはしても、世間の価値観には迎合されない確固として志がいつも自分を助けてくれます。群れる必要もなく、無理に合わせる必要もない、只ひたすらに自らの求めた道を歩んでいきたいと思います。