神馬道

昨日紹介した天狗芸術論の佚斎樗山は、青年期に熊沢蕃山の指導を受け影響をされているというが分かりました。

またここで熊沢蕃山と出会うとは思っておらず、縁尋奇妙であることを実感します。

そもそも熊沢蕃山は、中江藤樹と深い親交がありそこから儒教の本質を学んでいます。その思想を本来の神道と結び、本来の智慧とは何かと明らかにした人物であろうと私は思います。時代の流れの中で、色々と評価がありますが私から観れば同じようにかんながらの道を歩んだ人のように思います。

その佚斎樗山は本名丹羽十郎右衛門忠明、万治2年(1659)生、寛保元年(1741)に亡くなっています。武蔵関宿の久世家三代に歴仕した後、享保16年(1731)致仕、以後十年ほど蒙童教導のための著述を遺しています。

そして教えの本質とは、畢竟、「自己一心の明悟」というところにあるとし、つまりは私の言葉でいえば「自他一体の境地」にこそ得られるという思想です。如何に、自分というものを突き詰めて自分本来でいるのか、自然体といってもいいかもしれませんがその境地を目指すために学問を楽しむということでしょう。

佚斎樗山の考え方には、熊沢蕃山が真に伝えようとした本質がはっきりと観てとれます。もしかしたら非業の死を遂げた師に対しての真心と大義がこの佚斎樗山の講義本として夜に顕現したのかもしれません。師弟の義の絆の深さを感じて、義に生きるものたちの志にまた心が揺さぶられました。

私の名をつけていただいたのも、豊前坊という天狗の山です。これからはじまる神事、流鏑馬ともに、この佚斎樗山の考え方を同一に智慧を深めてみたいと思っています。

智慧の第一に下記があります。

「人は動物なり。善に向かわない時は必ず不善に動く。この念がここに生れなければ、別の念がかしこに生ず。」

万物一体善のことをいうのでしょうが、如何に清明心でいるか、透徹するほどの純粋な真心でいるか、そういうものを善とし、それらを別の思念が邪魔をするということでしょう。

単なる馬術ではなく、神馬に手伝っていただきながらかんながらの道としての神馬道をこれから学んでいこうと思います。